イラン・イスラーム共和国における省の統廃合の歩み
2011年05月12日付 Jam-e Jam 紙

省の統廃合はイラン・イスラーム革命以来、現在まで幾度か行われてきたが、いずれのときも時代の必要性に応じて、一部の省の統合が行われてきた。

 統廃合によって省のリストからその名前が除かれた最初の省の一つが、革命防衛省であった。同省の統廃合は、《強要された戦争》〔=イラン・イラク戦争〕終結直後に行われている。

 革命防衛省は、イラン・イラク戦争時に設立され、国防省が国軍に対して担っていたのと同じ役割を、〔革命防衛隊に対して〕果たしていた。しかし終戦後、イマーム・ホメイニー閣下の指示により全軍総司令部が設置され、それに伴い軍の機構改革が課題として浮上、その結果革命防衛省と国防省は統合され、国会可決を経て国防軍需省が設立された。

 第二次アーヤトッラー・ハーシェミー=ラフサンジャーニー政権時代の1373年〔※西暦1994/5年〕にも、国会可決を経て、重工業省が産業省に統合され、省の名前から消え去っている。

 その6年後の79年デイ月〔※2000年12月21日~2001年1月19日〕、第一次セイエド・モハンマド・ハータミー政権の時代、再び省の統廃合計画が国会で取り上げられ、4省、つまり建設ジハード省と農務省、ならびに産業省と鉱山金属省が統合され、農業ジハード省と鉱工業省が新設された。国会がこうした決定を下して間もなく、当時の大統領は〔国会の〕信任を得るために、新設の省の大臣となるべき候補らを国会に対して指名している。

 最後に省の統廃合が行われてから11年がたった現在、第5次開発計画に基づき〔これまでで〕最大規模の省の統廃合計画が進められている。それによると、鉱工業省、道路運輸省、社会福祉省、石油省の4省がそれぞれ、商業省、住宅省、労働社会問題省、エネルギー省の4省と統合されて、省の数は21省から17省に再編される見込みとなっている。

 こうした統廃合へ向けた第一歩はすでに政府内で動き出しているが、しかしその後の歩み、つまり、〔政府による〕大臣候補の指名や、〔政府主導で〕行われた統廃合に対する国会承認については、立法府と行政府の間で見解の相違がある。法の解釈をめぐるこうした相違を解決するためには、法的資格・方法が駆使される必要があろう〔=憲法解釈を行う護憲評議会などの組織が、政府と国会の対立を解決する権限がある〕。

Tweet
シェア


関連記事(護憲評議会、国会と政府の論争に終止符)
関連記事(4省が統合に:残る3つの疑問)
原文をPDFファイルで見る

 同じジャンルの記事を見る


( 翻訳者:鳥光真理子 )
( 記事ID:22571 )