Eyup Canコラム:一票をだれに?
2011年06月11日付 Radikal 紙

多くのコラムニストが、これまでと違ってだれに投票するかを表明している。こうした傾向は、海外メディアでは「民主主義の進展」だとされている。

ついに今日が最終日だ・・・60日間の選挙マラソンは明日、自由意志による投票によって終決する。報道では、喜ばしい議論が始まった。多くのコラム二ストが、これまでと違ってだれに投票するかを、コラムに示している。ヨーロッパやアメリカでは、個々のコラミストだけではなく、新聞社でさえ編集委員会として、選挙の時は毎回どの政党を支持するか理由を添えて論じる。最近レジェプ・タイイプ・エルドアン首相は、英エコノミスト誌が「今回の選挙では、CHP(共和人民党)に投票せよ」と書いたため立腹した。しかし、こうしたことは英メディアに置いては伝統的なやり方だ。例えば、アメリカでは、誰もが知っているようにウォール・ストリート・ジャーナル誌は共和党を、ニューヨーク・タイムズ紙は民主党を支持している。ワシントン・ポスト紙は大統領選の候補者をみて決める。イギリス、フランス、ドイツにおいても、多くの新聞がだれを支持するか表明する。そして誰も、ある新聞が、選挙直前にある政党や候補者への支持を明確に示しても驚かない。さらに、この透明な選挙の模様は「民主主義の進展」と評されている。

トルコでは、経済も、司法システムも、政治もまだ、先進国ほど透明でも民主的でもない。そのため、メディアに対してだけ、編集にこうした透明性を求めるのは酷だ。その上、今日における分裂状況では少々「愚行」にもなる。しかし、コラムニストがどの政党又は候補者を支持するか表明することに、私としては何の問題もないと思う。さらに、これは、我々が、組織的レベルでなくとも、個人のレベルにおいて透明性をもち始めたことを示している。

このため、コラムニストが新聞の政治的見解としてではなく、その人個人の考えで、だれに投票するか示すことは、肯定的に評価したい。そもぞもコラムニストが支持政党・支持候補を表明するのは、トルコ.メディアにおいて初めてではない。例えば、新聞記者としてだけでなく、イノニュ元首相(のち大統領)の娘婿として知られるメティン・トカル氏は、共和人民党に投票すると何十年も書いていた。(イノニュの娘婿という)親族関係をみれば、それは驚くには値しないが、これはめずらしいことだった。しかし、今回の選挙において初めて、多くのコラムニストがだれに票を投じるか公に書いたのだ。たしかに依然として投票の秘密性を信じ、そのためだれに投票するかコラムで明言しないコラムニストもいる。私としては、どちらも同じように尊重したい。

さて、このような前置きをしたら、私がだれに投票するか気になるだろうが・・・私は、コラミスト一人一人はそれでいいとしても、編集主幹の立場にいるものには、「投票の秘密性」が必要だと思っている一人だ。なぜなら、編集主幹は自身のコラムに責任を負っているだけでなく、この職業、および新聞経営者を代表して、運営上の責任を負っているからだ。

トルコは、まだ、新聞が編集方針として支持する政党を発表する成熟度や透明度をもつような民主主義を有しているとは、思えない。もしそうなら、躊躇なく私は、自分が誰に投票するかを言うところだか・・・そうではない・・・。
こうした理由で、私は、この新聞の編集主幹として、だれへの投票を支持するかについては述べない。私は、明日多くの有権者と同じように、私の自由意志に基づき指定地区で投票する。いつかトルコが、コラミストたちだけでなく、メディアが編集方針として、どの政党を支持するか示せる国家になることを夢見ながら、票を投じよう・・・。

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( 翻訳者:大久保はるか )
( 記事ID:22841 )