新憲法の屋台骨と、首相の「BDPイニシアチブ」
2011年06月15日付 Hurriyet 紙

今日は、6月15日。アブドゥッラー・オジャラン氏が頻繁に訴えていたPKK(クルディスタン労働者党、非合法組織)の「停戦」期間の最終日である。オジャランは6月15日を「大きな歩み寄り」、あるいは、「最後の審判の日」と表現し、これを強調した。

■どちらに向かって我々は進んでいるのか。

6月15日は確かに、1種の隠喩である。これは6月12日の総選挙後という意味だと考えるのが正しい。実際、オジャランもこのようにほのめかしていた。すなはち、明日になったら、「最後の審判の日のような大混乱が起こる」と思うには及ばない。

首相の「バルコニー演説」にあるいくつかの「暗号」を希望的に「解読」し、近いうちにクルド問題が平和的解決の道に入るとの期待や解釈も目にする。しかし、そう考えるのには慎重であるべきだろう。なぜなら、選挙後48時間の動静に見たところ、BDP(平和民主党)は、選挙結果にも、自らの勝利にも、きちんと適応できているようには見えないのだ。
これはもちろん、変わりうるが、現在の見解はこれである。

BDPの「質的な」の重要性は、36議席でもってTBMM(トルコ大国民議会)にのりこむという「量」がもたらすという力をかなり越えている。この選挙結果は、BDPを新憲法制定における「クルド問題の直接的な代表者」というポジションにおいた。クルド人の票の大多数はBDPに属するからだ。

そのため、クルド問題の解決も含みこんだ新憲法の屋台骨は、AKP(公正発展党)とBDPの歩み寄りのなかに存在せざるを得ない。CHPも、これに「貢献」という形での重要な役割を担うかもしれないが、新憲法を、基本的にAKPとCHPの歩み寄りのもとで作ろうとし、BDPをはずしたならば、問題は解決されない。

■PKK−BDPを正しく理解するべき

タハ・アクヨル氏は昨日、「AKPとCHP間の新憲法に関する対話の進展を可能であると見る。なぜなら憲法について見解を調和させることができるからだ。メディアと市民団体はこれを支持するべきである。BDPとも憲法に関する対話の場の構築は最重要である。しかし、ここでの問題は、BDPがどのように行動するかである。BDPの議員は36人もいる。これが、彼らの「民主的な責任感」を育てるか、もしくは民族的ナショナリズムにもとづく対立を助長するか、はっきりしない。今後の重要な問題はこれである」と書いた。一般的には正しい。「今後の重要な問題」は本当にここにある。

しかし、その一方で、BDPを正しく理解する必要がある。BDP(その基礎にあるPKK)は、多くの人が思っているように「エスニックなクルド民族主義」の代表ではない。PKKとBDPのイデオロギーも、中核グループも「クルド左派」に属している。ちょうどトルコ左翼主義の中心部でケマリズムと国家主義とが混じり合ったように、「クルド左翼主義」でも、一種の「クルド・ケマリズム」と「クルド国家主義」とが混じり合っている。

もちろん、クルド人達は長年に渡って否定、同化、そして迫害にあっていた民族であるため、自然に、「クルド人アイデンティティの強調」が中心になる。しかし、だからと言って、PKKとBDPを「エスニック民族主義の代表者」であると認識すべきという意味にはならない。とはいえ、PKKとBDPをMHP(民族主義者行動党)と、そして最も面倒なエルゲネコンと同じカテゴリー内に収める必要もないが。

ハサン・ジェマル氏は昨日、「トルコは、6月12日を期に、(これは私の推測だが)、クルド人達を、すでに1つの政治的存在として理解し始めている。この現実を、何よりもまず、タイイプ・エルドアン首相が受け入れなければならない。なぜなら、この選挙結果は、クルド問題とPKKを別のものと考えること、BDPと(オジャランの拘留されている)イムラル島を無視すること、あるいは、選挙演説会でオジャランを絞首刑にするという発言がとびかうことが、この国の平和という観点からみると、間違った、誤ったものであることを、エルドアン首相と参謀総長に示したからだ」と述べ、大変重要な、的確な指摘をした。

私の心配は払拭されはしないが、私も真にそうあってほしいと思う。ハサン・ジェマル氏は、次のようなとても重要な事実も強調した。

「もし本当にBDPが平和をというのであれば、このことに関してBDPと(PKKキャンプのある)カンディルとイムラル島が無視されることなく、またクルチュダルオールのCHPも話しあいに加わるのであれば、BDPが、このように2票に1票を得たエルドアン首相とAKPに背を向けたのでは、トルコにおいて平和の開かれない。」

■BDP自身も正しく理解するべき

しかし、BDPが「勝利の酔い」から醒めて、冷静に、「民主主義的責任」のもとで行動するような兆しはまだ見られなかった。BDPは選挙結果を正しく評価するべきである。

本当に困難な状況のもとで36人の無所属候補を国会議員として当選させたこと、ディヤルバクル、ヴァン、ハッキャーリ、マルディン、シュルナック、バトマン、そしてムシュで、(うち何県かでは大差をつけて)、第一党として選ばれることは大変な大勝利であるが、以下の事実を、私達もBDPも理解する必要がある。

1.BDPの得票率は1%も増えなかった。

2.トルコのクルド人の42%はAKPに投票したようである。PKKとBDPは、AKPをクルド人の中から消せなかった。(この現象は、歩み寄りのためのツールとして評価させる限りにおいては、前向きな結果である。)

3.BDPがトルコ社会主義左派の一部から選んだ候補者の支持基盤は、(大局的にみて)「トルコ系の有権者」ではなかったことは明らかである。その候補者らも、当選はしたが、PKKとBDP系の票に依拠していた。

4.シェラフェッティン・エルチ氏とアルタン・タン氏のように左派ではなく保守的イスラム・アイデンティティを強調する候補者らは、HAKPAR(クルド系「権利自由党」)からも支持をえて、「心理的相乗効果」を生み出したが、これは「有権者の相乗効果」へと変化する程ではなかった。AKPが(より正確に言えばタイイプ・エルドアン首相が)この選挙で、「クルディスタン」とみなした地理的エリアで票を減らしたことは明らかであるが、それでも決して消えさったわけではなく、むしろかなりの程度の代表力を維持し、さらに強化した地域も存在している。つまり、タイイプ・エルドアン首相は「クルドの兄弟たちよ」と述べる権利を維持したのである。(注:宗教的なクルド票を、AKPが獲得したことを指している。)

すなはち、そう、PKKとBDPはクルド問題の当事者である。もちろん、解決策においても。しかし、クルド人たちをどれだけ代表しているか、ということになると、6月12日の選挙結果は、それにも限界があることを示したのだ。

■民主主義、民主政治、民主的解決

セラハッティン・デミルタシュDBP党首は厳しい言葉で、エルドアン首相が自分達を「テロリスト」として扱っていたことに言及し、「今、憲法のためにどのようにテロリスト達と対話するのか」と非難している。
選挙後になっていまさらこうしたことをいって、誰に対して、何の意味があるのだろうか。

結論としては次のことがいえるだろう。タイイプ・エルドアン首相の「バルコニー演説」を、歩み寄るにより新憲法制定の過程で「BDPを真剣な協議相手とする」と語ったと翻訳し理解しようとするならば、BDPのセラハッティン・デミルタシュ氏が、上述のようではなく、次の言葉を真剣に実行に移すことが求められよう。

「これはありふれた勝利ではない。偶然でもない。メディアが示そうとしたイメージと反対に、我々は1つの民衆運動である。何千もの逮捕者がいる。しかも、公的支援を受けていないし、継続的に警察の圧力に直面している。しかし、これにもかかわらず、人々は私達を理解し、支持している。なぜなら私達が民族自身であるからである。BDPに与えられた票にどのような意味があるのかあなた方は尋ねるだろう。もちろん私達の見解においては、民主的自治、平和、オジャラン氏の釈放であると述べた。しかし究極的には、我々は民主的な政治を主張した。ここで与えられた票は、民主主義に与えられた票である。」

その通りである。人々は、この票を36人を議会に送り、「戦いを主張せよ、私達も武力で戦い続ける」と言って投票したのではない。「議会に行き、戦いの終結のために、私達の望みに貢献してほしい」と言ったのだ。クルド問題解決が「民主主義」で実現すると考えたから投票したのだ。

新憲法のためには首相には、真剣で真の「BDPへの歩み寄り」が求められる。

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( 翻訳者:田中けやき )
( 記事ID:22984 )