Güven Sakコラム:そのとき、TRTアラビア語放送では…
2011年09月16日付 Radikal 紙

北アフリカにおけるヨーロッパのソフトパワーの必然的な分枝に位置しているのはフランスではなくトルコ

トルコの首相がここ数日、北アフリカでの外遊で成功を収めている。言うべきことを言っている。トルコがこの地域で果たすことのできる役割を全ての人に対して実践的なかたちで示している。呼び起こした関心の高さが、トルコがその役割を本当に果たすことができることを示している。

外遊の最初の訪問地、カイロにてエルドアン首相は熱狂をもって迎えられた。私も全てのトルコ国民のように、外遊の始まりを喜びをもってトルコのテレビ局の放送で観ていた。トルコのテレビ局の放送だけがライブ映像を放送していた。アル・ジャズィーラでもこの瞬間には、そのニュースは流れていなかった。そのときふと、「待てよ、何を放送してるかな」と気になってトルコ・ラジオ・テレビ協会(TRT)のTRTアラビア語放送を見てみた。さて、推測してみてください、何が放送されていたか。

トルコの首相が「アラブの春」の舞台となった各国の首都の歴訪を始めたというとき、当該地域に向けて、その地域の言葉でトルコを理解してもらおうと放送していると思ったTRTアラビア語放送は、そのとき「木材の生産」に関する録画番組を放映していたのだ。まさに、「なんだこれは?!」である。
思い出していただけるだろうか。少し前の記事でアラブ人のマスコミ関係の親友が行ったTRTアラビア語放送に関する非難について書いたことがある。親友は「『アラブの春』の真っ只中、私の国は、国民はどうなっているのかと思い、それに対する反応、評判を見てみようとTRTアラビア語放送をつけてみたら、なんと放送してたのはナス料理のレシピだったよ」と説明してくれたのだった。
現在の状況はこうだ;TRTサイドは、いまだ何も変わっていないのだ。ここからいくつかの結論を導き出そう。

一つ目は、アラブ世界はもはや、世界と一体化したいと望んでいる。アラブ世界は20世紀のあいだずっと、時代の外におかれていた。しかし我々は今、以前と異なる時期にいる。ドイツで、アメリカで警察が市民にどのような振る舞いをするかを知っている人が、カイロで、ディヤルバクルで、そしてイスタンブルで自国の市民に警察がそれとは違う振る舞いをすれば、もはやそれには黙って従えないほどに、私たちは世界中でお互いに結びついているのだ。エルドアン首相がカイロで言ったのもこのことだ。彼の発言は正しい。これが第一点目だ。

二つ目は、世界に進出したいと願うアラブ世界にとってトルコは、グローバル経済に彼らより先に進出した一例である。エジプトとトルコは同じ帝国の生き残りである。トルコはグローバル経済に進出し、エジプトはまだ進出していない。帝国が崩壊したとき、近代化の野望がイスタンブルであったように、カイロやベイルートでもそうであった。我々は成功したが、彼らはできなかった。我々は何を成功したのか気づいていないかもしれない、でも彼らはそれを知っているはずだ。アラブ世界の人々の目をくらませる光とは、イスタンブルの24時間消えない光だ。私たちの国の生活のエネルギーやライフスタイルが彼らの興味を引いている。トルコはもはや、どこにある国かという地理的な位置というよりはむしろ、どういう国か、と言う点で重要視されているのだ。我々は現在そのことに注意を払っていないのかもしれないが、トルコはヨーロッパの一部であるゆえに、当該地域において興味深い存在のだ。サルコジ大統領が怒りで地団太踏んだとしても、フランスではなくトルコこそが、この地におけるヨーロッパのソフトパワーの必然的な分枝に位置づけられている。これが二つ目の結論だ。

そして三つ目。TRTアラビア語放送は録画の料理番組やトルコの伝統楽器サズの奏でる音楽番組を放送するよりも、イスタンブルがどうなっているか、そこでは何がおきているかを放送しようという動きにならない理由はなんなのだろうか。問題の原因のひとつは、TRTにおける製作のエネルギーが不足しているのに加え、さらに重要なのはアラビア語を知っている人の数が少ないということだろう。アラブ世界をわからないのでは、アラブ世界に対して影響力のある放送を行うことは不可能であろう。

先日、外国人の外交官の友人が私に「私たちは彼らとアラビア語で話しをしていますよ。覚えておいてください、あなたたちは英語ですね」と言った。問題はまさしくこれである。トルコにとって嘆くべきもこれである。周辺地域ではアラビア語、ロシア語が話されているのに、これらの言語を私たちはいまだにしっかり習得できていないのだ。言葉を知らない人はその国のことも分からないものだ。
今の時代の我々の一番の敵はとどのつまり自分たちの準備不足ということになるのかもしれない。TRTアラビア語放送が反省なしなのは、この準備不足ということの証なのかもしれない。もはやアラビア語オリンピック、ロシア語オリンピック、さらには英語オリンピックといった国際大会を行うときなのかもしれない。地域で力を持つための鍵はここにある。
みなさんはアメリカ人やイギリス人が英語オリンピックを行うと聞いたことなどあるでしょうか?

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( 翻訳者:金井佐和子 )
( 記事ID:23989 )