Hilmi Yavuzコラム:新憲法、でもどんな
2011年10月16日付 Zaman 紙

トルコ共和国は新憲法を手に入れようと準備している。

新たな憲法が生まれるたびに、共和国は刷新される。これを踏まえると、トルコ共和国は1921年と1924年、1961年、そして1982年の憲法を経て、5番目の憲法を持つこととなるのだから、つまり5代目の共和国ということとなる。

けれども1924年憲法と1982年憲法との間には、例えば1926年4月10日に世俗主義の原則が承認されたように、急進的な一連の改正が行われたことが看て取れる。しかし注意すべき点は、1924年から1982年まで新憲法への必要性が見られなかったことである。トルコ共和国は、最初の2年半の内は 「世俗主義」の共和国ではなかった。1924年憲法の第2条には、「トルコ共和国の宗教はイスラムである」と述べられているからである。この憲法は 1931年と1934年、そして1937年(この年は2回)に改正された。特に1937年2月5日に行われた改正は、我々の師である今は亡きアリ・フア ド・バシュギル教授の1955年の授業ノートから引用して言うなれば、「この法律(1924年憲法;著者補足)が被った改正は 最重要というよりも、最も独創的である。」

バシュギル先生がこの改正をなぜ「最も独創的」と考えたかを理解することは可能だ。この改正によって共和人民党の「党是が憲法に取り入れられた」からである…。トルコ共和国は、もはや一政党の国家である。(そう)共和人民党の国家だ!今は亡き我が父ヤフヤ・ヒクメト・ヤヴズが1940年代に郡長を務めていた郡では祝日の日に、襟に6本の矢印が描かれた小さな旗をつけて演台へと上がり演説を行なっていたことを覚えている…。なぜなら「国家」とは「政党」という意味であったのだから…。

そして今、問わねばならない。1924年と1961年の憲法の間で、「世俗主義」や「党国家」といった本当にとても大きく且つ急進的な改正が行われたにも関わらず、なぜ新たな憲法が作られる必要性がなかったのか?というのも、これらの改正は、トルコ共和国の構造を根本から変える改正であった。(例えば、有権者の年齢を18歳から22歳へと引き上げたように、補助的な改正ではない!)まさにこの理由によっても、憲法に追加された新たな条項により(世俗主義の原則、党国家の原則)、1926年と1937年の「憲法」をそれぞれ新しい憲法として考えなければならない。これを踏まえて、敬愛なる首相の公約が実現すれば、2012年の憲法は4番目ではなく、6番目の共和国憲法となるということだ。(誰かが私のことを「うそっぱちの共和主義者だ!」と言っているのが聞こえる気がする!!!)

2012年憲法はどんな憲法であるべきか?それは疑いなく、「アタテュルクの原則と革命」の仮面の裏に隠れて、共和人民党の「6本の矢印」を憲法上認めさせた偽善行為から手を引くことである。それ以上に、本質的に重要なことは、なによりまず憲法の中の概念に明確な説明を与える必要性に気づくことである。トルコ共和国憲法の第2条にて述べられる「民主主義」と「世俗主義」という概念が何を意味するのかは、古い言い方をすると「衆人一致して異論なきところの」というような規定の仕方がおこなわれるべきだ。例えば「先進的な民主主義」という概念だ…。公正発展党と首相が 「先進的な民主主義」という言葉によって何を説明しようとしていて、主要野党の党首がその言葉をどう理解しているのかという、(つまり)この2つのが同じではないことを確かめるには、それほど利口である必要はない。

これらの概念だけだろうか?もちろん違う!新憲法は、皆がそれぞれ自分勝手に理解している「公共の領域」や「市民社会」のような、現代社会が必要不可欠とする基本的な概念をも、明確な形で定義されなければならない。概念の規定の上に憲法上の合意がなければ、民主的な政治的対話の実現ももちろん不可能だ。概念に関して、今日まで(さらには今日さえも!)「相互にバラバラ」という思考が支配しているのを見ないようにするには、今回充分に間抜けにならなくてはならない…。

新憲法が国家と国民に幸をもたらしますように!

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( 翻訳者:指宿美穂 )
( 記事ID:24258 )