Cengiz Candar コラム:新クルド解決策は、無意味
2012年03月24日付 Radikal 紙

平和民主党(BDP)へ脅しは禁物だ。反対に、BDPをイムラル島(オジャラン)及びカンディルとの合法的な連絡手段とするべきである。

「クルド問題に新戦略」又は「国家の新クルド解決策」などと、各新聞がアンカラ政府筋の話として報じたことがらは、トルコにとって時間の無駄と、残念ではあるが更なる死者を出す以外の何ものでもない。あり得ない。そもそも、「政治的」問題の解決策は、「安全(治安)第一」政策を唱えれば必ず、安全でなくより多くの死者が出る結果となった。
そして、もちろん、問題の解決という観点から、大いなる時間の無駄。問題の歴史をみるなら、ある意味では「常に機会を逃した歴史」とも言える。
今回は違う、と思わせるためのある「戦略」があるらしい。この「新解決策」の本質は、「民主的政治の場(議会)及び直接国民(クルド人)を対話の相手とすること」らしい。つまり政府は、「イムラル島やカンディルの主張(無理難題)ではなく、直接『国民』の要望や要求を基本とする」ようだ。
はぐらかしである。この言葉を我々はこれまでに何度聞いたことか。
一方で、BDPにも「一役買ってもらう」と考えている節がある。問題が議論され解決策が模索される場はトルコ大国民議会(TBMM)、つまり合法的な「民主的政治の場」であるため、BDPにも「解決策模索」においては役割がある。もっと言えば、「直接対話」の相手ともなりうる。
しかし、それは「条件」次第だ。

その条件とは何か?

クルド労働者党(PKK)と距離を置き、独立した政治的イニシアティブを負うことである。「新解決策」の「告知」を担うマスコミも書いている。すなわち、「このようなルートが開かれ、機能することは、BDPが今後PKKから独立したイニシアティブを握っていくかどうかにかかっている」。
この「条件」は新しいものであろうか? いや、2007年の選挙のときからずっと聞かされていることだ。
さらに言えばこの条件は実現し得ることなのか?つまり、BDPがPKKと距離を置くということはあり得るのか?
夫婦のうち一方が国会に、もう一方はカンディルにいる、父親は選挙で(合法的に)選ばれ市長に、息子はカンディルにいる、このような状況で、どうなるのか?

■「オジャラン」の重要性

アブドゥッラー・オジャランという名前が、クルドの人々にとって重要な意味があることを、AKP政権派の新聞のコラムニストたちすら記事にしている。アブドゥッラー・オジャランが隔離、拘束され、弁護士らさえも刑務所にいて、誰とも会えないようなこの状況で、アブドゥッラー・オジャランの名前、つまりイムラル島という言葉を口にするなと、BDPに要求するのか?BDPはこの要求を呑むだろうか?そんなことはありうるだろうか?
BDPとの対話が必要なのは確かである。合法的な党であり、合法的に選ばれた議員であるゆえ、BDPの「合法性」を解決策のために検討することも正しいやり方だ。しかし、PKKとの関係をアイルランドのIRAとシン・フェイン党の関係のように考えず、BDPに対して「PKKと距離を置け」という条件を頭ごなしに押しつけても、何も得られるものは無い。
反対に、BDPをイムラル島及びカンディルとの「合法的交渉のためのチャンネル」にすべきである。
出来上がった「新解決策」又は「戦略」によって、「直接『国民』に寄与できること」は何であろう?まず、「国民」や「クルドの同胞」という言葉を聞くと、クルド人の「無力感」が私の胸をよぎる。「クルド」と言えない、「クルドの民」という言葉を口にできない、クルドというアイデンティティを認識できず、消化できない状態である。そのため、一般的には「国民」又は「クルドの同志」という言葉で表現する。
基本的な人権である「母語での教育」においてさえも、失敗ばかりだ。
BDPは、クルド人に対して「地位」という言葉を声高に叫び続けている。濃くて頑固な中央集権的伝統が、何十年もの間イラクの連邦体制に反対し、未だに完全には受け入れられないでいるなかで、-トルコ首相の口から、最近友好関係がみられるメスート・バルザーニ氏に対する形容詞が正しく発音され、「北イラク・クルド自治政府大統領」と言われたのを、一度でも聞いたことがあるだろうか?-シリアのクルド人についてその可能性が見通せないこの状況で、トルコでは「自治」にとどまることは明らかだ。
残されているものは何か?「ヨーロッパ地方自治政府独立条件」に示されているリスク(デメリット)が「将来的に撤廃される」と思われているらしい。「地方自治政府は強い力をもつ可能性がある」らしい。トルコでクルド人が住む地域のすぐ横に「クルド自治政府」と呼ばれている組織が存在し、シリアが将来的に同様な体制になることが予想されていているとき、トルコにおいてはBDPだけでなく南東部経団連(GÜNSİAD) さえも「地位」の概念を口にしているこの状態で、1989年の「ヨーロッパ地方自治政府独立条件」で定められているリスク(デメリット)が撤廃されることが、『国民』の評価を獲得し、こうして大きな一歩を踏み出したことになるとでも思っているのだろうか?
何年も前行われたなら大きな意味を持ったであろう取り組みは、「遅すぎる形」で行われた場合、期待されている結果は出せない。ハードルが高くなったことになる。「TRT-Şeş(国営放送クルド語チャンネル)」がこの例だ。国家が(あるいは政府が)がクルド人に対して期待した成果は生まれなかった。
もちろん、現政権は、以前の政権よりもクルド問題において重要な道を切り開いたと信じ、「クルド人の否定」に終わりをもたらし、拷問の件数を大きく減らし、基本的権利と自由の範囲をかなり広げ、-刑務所で母と息子がクルド語で会話できるなど-そして文化的権利ということにおいてもさらなる一歩を踏み出していたので、「さらに何をやりましょうか」という段階から(成果が見られないことで)、「失望」ということに簡単に移行する。そして、憤慨する。「次は国家の力を見せつける」という雰囲気になる。クルド問題における「個人的権利」が認められた先に「集団的権利」モードに入るとも思えない、又はこのことを認めたいとは思っていない。

■集団的権利はどこに?

PKKだけでなく、BDPも「集団的権利」軸で役割を担いたいようだ。さらに言えば、「国民」又は「クルド人同胞」という言葉の裏に隠れた本当の感情である「哀れな人々」は、「国家が与えるもので我慢すべき人々」と思われている大集団なのだ、まさに。
ディヤルバクルで「無許可のノールーズ」に100万人近くが参加したことを、「組織的圧力」又は「騙しによるもの」として説明できるだろうか?この地域のあらゆる場所で、何万もの人々が、自らに問題が降りかかる可能性があるとわかっていながらデモを行ったことを、きちんと説明する必要がある。
「国民」又は「クルド人同胞」を、ただ国家から施される「恵み」だけで我慢すべき集団だと思っている「アンカラのお官僚思考」から抜け出さない限り、「新解決策」も「新戦略」も何ら意味がない。
更に、クルド問題は、もはやシリアでの一連の騒動の一般的枠組みよりもっと広い、「地域的な規模」で取り扱う必要がある。PKKも、望むと望まないにかかわらず、「地域的均衡」の中に位置しているのだ。
メスート・バルザーニ大統領との連携は、この問題の解決には不十分である。イラクでの事態の推移の行く先に注目しているなら、バルザーニ大統領がPKKとは戦わないことも知っておく必要がある。6月にアルビルで「クルド民族会議」が行われるのかどうかも疑わしい。この会議では多くのことが期待されており、2009年には今日よりももっと良い条件で招集がかかるはずであった。しかし実現しなかった。2012年6月の会議についても、確信は持たないほうが良い。トルコのクルド問題は、メスート・バルザーニ大統領に解決をゆだねても解決しない。トルコ政府の考え方を変えることが、第一の課題だ。
つまり?
「新解決策」又は「新戦略」を隅から隅まで目を通したうえで、「改変」する必要がある。
現在のものでは何も期待できない。

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( 翻訳者:津久井優 )
( 記事ID:25908 )