Iskender Palaコラム:保守派芸術のマニフェスト
2012年04月10日付 Zaman 紙

共和国史始まって以来、文化や芸術といった話題は常に政治的話題の物陰にあったが、非常に有難いことに、我々は社会が文化及び芸術に関する見識の獲得を求め、また保守派芸術を論じる時代を迎えた。

マズローあるいはイブン・ハルドゥーンの必要不可欠な欲求及び成熟欲求の理論が示している経済的自足の敷居の高まりがその理由である。我々は、この議論が合理的かつ生産的なレベルで行われることが大変重要であると考えている。

敬愛すべきムスタファ・イセン氏の「保守層が如何なる民主主義の理念を掲げようと、我々には保守派美学及び保守派芸術の規範と構造を構築するといった責務がある」という一文で異なる様相を呈したこの議論に敬愛すべきエムレ・アキョズ氏は、「保守派芸術(及び美学)というものは可能なのか?可能であれば何なのか、如何なる諸原則に立脚し、どのように構築されるのか?」との問いを投げ掛け参入した。私は保守派芸術を論じる前に保守という概念を論じる必要があると思う。なぜなら、この議論の相手側に言わせれば保守派とは、「万物を宗教のフィルターを通して見る、宗教的価値判断のみを行う者」から成るアイデンティティの名称だからである。しかし、文化・芸術分野にとっての保守派とは、「国民的及び精神的な価値、作品、慣習や伝統に依拠し、それらを保護、存続していく事を求める(Kubbealtı Sözlüğü,Ⅱ.2115)」者である。この第二の定義に照らせば、私は保守派の一人である。この自らのアイデンティティをもとに私は、「保守派芸術」ではなく(なぜなら、この呼称に限界を感じているからである)、保守派の一人として芸術を定義した20項から成るマニフェストを、思いつくままに、可能な限り明確に記したい。私からすれば;

1.保守派芸術(MS)は、トラウマを抱え過去と決別した社会が自己と和解しようとする努力の美的側面である。

2.MSは、社会自らのアイデンティティから発生し、その懐で可視化される芸術である。

3.MSは、経済開発では第16番目であるが、人間開発において第92番目にある国民が、構造的変革を完逐し、自己を自由に表現できる美的分野である。川の自然の流れを阻む者、及びそれを人為的に変えようとする者に対しその作品を通じて意を唱える。

4.MSは、その作品を通じて社会の平和、啓蒙、物質的及び精神的発展に貢献することを目指す。

5.MSは、自由及び自由な風土が各芸術家にとって必然的な前提条件と認める。但し、芸術の名の下に行われる陳腐かつ劣悪な行為、及び差別に異を唱える。

6.MSは、市民的である:国家による統制に異を唱え、国家がパトロンとしてではなく、スポンサーとして貢献することに賛意を示す。

7.MSは、宗教芸術ではないが、必ず宗教的感性を尊重する。

8.MSは、民衆と対立しない。この点でMSは英国保守派芸術の風土を支持しており、例えば、人口の圧倒的多数をムスリムが占める社会においてイスラム的価値観が侮辱を受けることに不快感を覚える。

9.MSは西欧を拒まず、その方法論及び所産を認める。但し、その精神とは距離を保つ。

10.MSは、例えば、フズーリー、デデ・エフェンディ、シェークスピア、モリエール、ブラームス、黒澤、そしてコッポラに精通しているが、彼らの云番目の模倣作品を作り出すのではなく、一人のフズーリ、モリエール、ヴィヴァルディ、そしてコッポラになる理想を抱きながら自身の作品を作る。

11.MSは、メフメト・アーキフやネジプ・ファズィルに拘泥するのではなく、ナーズム・ヒクメト、オルハン・ケマル、カラジャオーラン、シェイフ・ガーリブ、ドストエフスキーやダンテ等を融合しつつ作品を生み出す理想を掲げる。

12.MSは――古典とは常に新たな解釈が可能であるという原則に基づき――古典的な理念、芸術及び文化を再現あるいは模倣するのではなく、再解釈し生み出すことを断固決意している。

13.MSは、その文化的領分を理解し、出自コンプレックスから自由である。

14.MSは、自己の活力を使い果たしたために我々の領分にある諸作品を発見しようと努める西欧の芸術家らに先んじて自分独自の作品を同じ質で生み出す事を支持する。

15.MSは――たとえ自身が非保守的な芸術の場で常に無視され、疎外されていようが――非保守的な芸術作品を批評しこそすれ、決してそれを疎外しない芸術である。

16.MSは、タンプナルの言葉を借りれば、変化しつつ継続し、継続しつつ変化する自然生命体であり、ヤフヤ・ケマルに言わせれば、その起源が過去に端を発する未来である。

17.MSは文明的視点のことであり、豊穣な歴史・文化遺産から均衡のとれた物質的及び精神的文明を最も巧みに生み出すことに尽力する。

18.MSは、伝統に疑問を投げかけ、それに論評を加えつつ近代的蓄積に加える。

19.MSは、文明及び近代のあらゆる可能性、技術、情報、ツールを駆使し作品を生み出すが、その作品に魂を吹き込む際に、自身の過去から着想を得る。(老若男女の皆さん、バルシュ・マンチョを想起されたい。だからこそ我々は彼を愛したのだ。)

20.MSは、事ある毎に言われる「保守派にきちんとした芸術理念及び高度な美的水準など存在しない」という戯言が、何かを無視する目的ででっち上げられた安っぽく、不当な意図の産物であることを知っている。

ハサン・ビュレント・カフラマン氏がMSを憂慮する人々に婉曲的に語りかけた一文(2012年4月8日付アクシャム紙)を結びの言葉としよう:「恐れるなかれ!..文化的蓄積と和解せず、それを度外視し、また刷新することなく、内在化しても埒があかないだろう。」

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( 翻訳者:藤井庸平 )
( 記事ID:26034 )