マルマライ完成まであと18ヶ月
2012年04月29日付 Radikal 紙


ビナリ・ユルドゥルム運輸相は会見で、マルマライプロジェクトは150年間実現が待ち望まれていたと述べた。

ユルドゥルム運輸相は、「マルマライに対する情熱は1860年にスルタン・アブドゥルメジトが技術者プロルトに計画の準備をさせた事から始まった」と語り、岬とウスキュダル間で短期間で計画した海底トンネルは車両用ではなく歩行者用となる予定であったが、当時の技術ではこのトンネルの実現は不可能だったと述べた。

同運輸相は、レジェプ・タイイプ・エルドアン首相の指示でこの計画を引っ張り出してきたことや時代の必要に沿った形で計画を練り直したことを明らかにし、「(この道は歩道になるのではない、鉄道になる)と我々は言った。そしてマルマライと名付けた。このプロジェクトを世界で最も評判のプロジェク トのうちの一つにし、2004年5月9日にプロジェクトの基礎を築いた」と語った。

ユルドゥルム運輸相は、掘削中に遺跡が発掘されたために作業スケジュールを2013年末にまで延期することになったと明かし、双方向から作業を進めて最終的にプロジェクトの海底トンネル部分で最終段階に入ったと述べた。ユルドゥルム運輸相は以下のように語った。

アルルクチェシュメ~カズルチェシュメ部分の最初のレールを敷設した。150年間実現を待ち続けた夢が現実となるまであと18カ月だ。我が共和国の90周年記念日である2013年10月29日に、我々は2つのお祭りをする。共和国の建国記念日に我々の大きな夢、マルマライも開通させる。

しかし次の事も忘れてはいけない。マルマライプロジェクトはイスタンブルの両岸をつなげるためだけに始めたのではない。世界を一つにするため、世界の2つの大陸を結びつけるためにマルマライをつくったのだ。なぜならばマルマライはシルクロード鉄道プロジェクトの一端にすぎないからだ。我々はマルマライ以外の、バ クー・トビリシ・カルス鉄道プロジェクトとイスタンブル・アンカラ高速鉄道プロジェクト、アンカラ・スィヴァス高速鉄道プロジェクトも少しずつ進めてい る。この意味で、マルマライは我が省だけのプロジェクトでも、我が政府だけのプロジェクトでもない、我が民族のプロジェクトなのである。北京からロンドンに至るまで続く道にある国々のプロジェクトである。世界がうごめくプロジェクトである。少しずつ完成に近付いているのだ。」

■プロジェクトの小史

イスタンブル・ボスフォラス海峡の下を通る鉄道トンネルの構想は、1860年に最初に生まれた。この時は、海底に建てた柱の上にトンネルを据える形で計画された。

このようなアイデアや構想は、その後の20~30年の間でより進展した形で検討され、1902年にほぼ同じ形のプロジェクトが考えられた。このプロジェクトでは、ボスフォラス海峡の下を通る鉄道トンネルが想定されたが、まだ海底上にトンネルを据えるものとされていた。その時から現在まで、非常に様々なアイデアや構想が試され、新たな技術により、プロジェクトの自由度がさらに増した。

イスタンブルで東と西の間にあり、ボスフォラス海峡の下を通る鉄道の建設に対する要望は1980年代初頭にますます増し、この結果1987年に最初の包括的なフィージビリティー調査が行われ、報告された。この調査の結果、今日のプロジェクトのルートがいくつかのルートの中で最適なものとして選ばれた。

1987年に大枠が決まったプロジェクトは、その後数年間で議論され、1995年頃により詳細な調査と作業の実行と、1987年の旅客需要予測を含めたフィージビリティー調査を再び行うことを決定した。これらの作業は1998年に終了し、その結果は前から得られていた結果が正しかったことを証明し、プロジェクトがイスタンブルでの勤労者や住民に多くのメリットをもたらし、街の交通渋滞に関連して急速に増加する問題を減らす事が分かった。

1999年にトルコと日本国際協力銀行(JBIC)の間で融資契約が結ばれた。この貸付契約はプロジェクトのボスフォラス海峡横断部分で見積もられる融資の基礎となった。

この貸付契約は競争に基づく入札により選ばれる国際コンサルタントグループの用意も含んでいる。選ばれたユーラシアコンサルタントは2002年3月にプロジェクトのために入札書類を準備した。

入札は国内外の請負業者や合弁会社に開かれ、実施された。

2002年にボスフォラス海峡トンネル横断部分とそこに至るまでのトンネルと4つの駅の建設を含むBC1のボスフォラス海峡トンネル横断鉄道建設、トンネル、駅の事業の入札が行われ、入札を勝ち取った合弁会社が2004年5月に契約に署名し、2004年8月に作業を開始した。この契約用に、2006年に JICAと2つ目の貸付契約が結ばれた。

これに加え、プロジェクトの重要部分の融資契約の成立に向け、欧州投資銀行(AYB)との間に、2004年と2006年に郊外鉄道システム(CR1)融資 のため、2006年には鉄道車両生産(CR2)融資のための貸付契約が結ばれた。欧州議会開発銀行(CEB)との間にも2008年にCR1の融資のため、 2010年にはCR2の融資のために貸付契約が結ばれた。

CR1の郊外路線の改善と電気機械システムの事業は2006年に入札が行われた(入札資格審査は2004年)。入札を勝ち取った合弁会社と2007年3月 に契約が結ばれ、2007年6月に作業が開始されたが、2010年7月に撤回された。撤回の過程と請負業者の申請に基づき始まったICCの仲裁期間は続い ている。

この作業のCR3と名付けられた再入札の過程は、2010年7月の国際入札の発表で始まり、2011年1月に技術申請が検討される。CR2の鉄道車両生産 事業は2008年に入札が行われ、(入札参加資格審査は2007年)、入札を勝ち取った合弁会社とは2008年11月に契約に署名され、2008年12月に作業が開始した。

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( 翻訳者:南澤沙織 )
( 記事ID:26240 )