Oral Calislar コラム:AKP、社会改革、イスラム系知識人
2012年06月02日付 Radikal 紙

イスラム系知識人は、ある深刻なジレンマに直面している。広範囲な層に広まっている心理的なジレンマが存在しているのだろうか。

あらゆる権威主義は、内部の緊張状態、私的分野に対する干渉の懸念、そして新たな政治分裂を不可避のものとして内包する。目下は、「堕胎」と「中絶」についての議論が目立っているけれども、政権の権威主義化の兆候はもともとクルド問題ではじまっており、ウルデレ虐殺で風向きが変化したのだった。

■ザラコル氏、エルサンル氏の逮捕

公正発展党(AKP)は、まず「自由民主主義の知識人」と対立し始めた。ウルデレ事件から今日まで、AKPがイスラム層の一部のコラミストらと対立する光景が見られている。こうした対立のプロセスの最初の兆候は、ブシュラ・エルサンル氏とラグプ・ザラコル氏の逮捕時に見られた。「政府に近い」とされる数名のコラミストらは、この逮捕によって明るみに出た計画に対し、明らかに不快を示すコラムを書いた。

■アリ・アケル氏事件

ウルデレ虐殺事件は大変重大な事件である。イェニ・シャファク紙のワシントン特派員アリ・アケル氏がウルデレ虐殺をテーマに、首相に向けた批判をした後の離任したことは、その方面で深刻な衝撃を招いたことは明白だ。同紙の報道部門の一部の書き手は批判的な態度を示している。 こうしたこと全ては、イスラム層の心理面でのバランスにおいて、異なる結果をもたらすだろうと見られている。 最近の展開に関して最も興味深い論評のうちの一つが、ザマン紙のコラミスト、イフサン・ダーウ教授によるものである。(ダ―ウ教授の妻、ゼイネップ・ダ―ウ氏は以前AKP党員だった。)

■保守主義的アイデンティティのみ

ダ―ウ教授の評価は以下である。

「社会改造はリスクを伴うものだ。つまり、社会を独りよがりな考えで「再改造」を試みる際には、民主主義者であるとの主張やイメージを突き崩すことになる…。AKPが、民主主義的なアイデンティティを喪失し、保守主義のみをアイデンティティの基盤にしはじめると、よろめき始めた。民主的感性では管理されない保守主義は、与党を社会の改造者へと方向づけた。3~5人の首脳らが抱く「理想的な社会、良民、真のムスリム」という考えを、国家の権威と手段を用いて構築しようと試みているのだ。

大衆的で信仰を重んじる政治を行う政党の保守的中身を含む「社会の改造計画」は一定レベルの社会的支持を獲得し得る。したがって、社会的層として保守主義者―篤信家層に依拠した新たな社会改造計画は、深刻に受け止めるべき政治的傾向である。

しかし、この計画に関して少なくとも一つ問題がある。つまり、ここ数年、自由を獲得し、自律的となった「新たな篤信的保守主義者」層は、手にしたこの自由や独立を、政府中心の「新たな社会のユートピア(計画)」へ捧げるのだろうか?

私見では、裕福で、高学歴の、都市在住の「新世代の篤信家たち」は、上が計画をする一方で、下からの「大衆の支持」を得る、この新しい潮流が、自分たちの自由の範囲を狭めてしてしまうことを知っていると考える。ケマリストの社会計画と広範囲におよぶ闘争を行った篤信的保守主義の知識人らは、世論のリーダーたちや実業家を、独力で行動を起こすことのできる、自治と自由の役者に仕立て上げた。

今、こうした層は獲得した自由と自治権が、「新たな社会改造計画」と均質的社会と政府によって奪われることに賛成するだろうか。私は賛成しないと考えている。少なくとも影響力のある分野に関しては。自分たちの持ち場で意見を行使できなくなるとわかっている新たな信心深いエリート層の人々は、トルコ全体が「彼の」持ち場に変えられる計画を支持しえない。」

イスラム層の知識人は実に深刻なジレンマに直面している。さて、イスラム系知識人とエリート層だけでなく、イスラム層全体の中にも広範囲な心理的ジレンマ、そして、新しいアイデンティティの模索が存在しているのだろうか。

今後の動きを見てみよう。

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( 翻訳者:細谷和代 )
( 記事ID:26586 )