ウルケル製菓創設者、サブリ・ウルケル氏死去(92歳)
2012年06月12日付 Yeni Safak 紙


ウルケルグループの創立者サブリ・ウルケル氏(92)が亡くなった。共和国建国期の実業家の一人であり、開拓者でもあったサブリ・ウルケル氏は、1920年にクリミア半島で生まれた。1929年に家族でイスタンブルへ移住。カドゥルガ小学校卒業後、イスタンブル男子校に入学し、中学2年時に奨学生試験に合格、ビレジキ中学へ転入した。中学をビレジキで、高校はキュタフヤで学んだ。スルタンアフメト経済商学大学在中に第二次世界大戦が始まり、氏が高等教育を終えた頃に戦争は終結した。

サブリ・ウルケル氏はビスケットの味を忘れてしまった子供たちのためにビスケットを生産することを決意。1944年にエミノニュ区のノフトチュ商館で小さいビスケット工房を買い取り、兄のアスム・ウルケル氏と三名の従業員と共に、100㎡の工房で生産を開始した。この工房で成功を収めた後、1948年に元サーマルジュラル村にあったタッケジモスクの隣にビスケット生産工場を建設し、生産量は三倍に増加した。製品の運搬費をかけずに、工場生産の価格のまま店頭で販売した。

その後ビスケット工場をタヴトパシャに移転。1970年、民間企業のアナドル食品をアンカラで設立し、1974年に初の輸出業務を行った。1979年には、イスタンブルの第2工場はチョコレート生産へと分業した。同年、海外の企業に対抗するため、高い先見性を持って、社内に調査発展部を作った。1980年以降、ウルケル社の商品は種類が充実している。同年期、ウルケル社は世界への一貫生産販売に向けて始動した。1992年に植物性バターとマーガリン部門に参入することに決め、1996年には牛乳業界に参入した。2000年、サブリ氏は名誉会長職に就き、ムラト・ウルケル氏へと経営を譲った。

サブリ・ウルケル氏は、トルコの経済発展に大きな貢献をしたと同時に、社会問題に対しての活動も行った。

トルコの教育基盤を高めるために、多くの活動の先駆者となった。国民教育省と共同で小学校、工業専門高校、学生寮を建設。図書館やコンピュータールームを作り、経済的苦難にある生徒に奨学金を援助をした。また、トルコ対侵食植林・自然保護財団(TEMA)創立にも一役を担った。

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( 翻訳者:小幡あい )
( 記事ID:26689 )