メヴレヴィー教団の研究をするドミニコ会修道士
2013年03月17日付 Yeni Safak紙

ドミニコ会修道士のアルベルト・ファビオさんは、エルサレムでのムスリムとの出会いに影響を受けてトルコに来た。そして10年間にわたりメヴレヴィー教団の研究をしている。

8歳で修道士の道を選んだアルベルト・ファビオ・アンブロシオさんは、エルサレムにおけるムスリムとの出会いに大きな影響を受けてトルコを訪れ、約10年間トルコで暮らしている。移住後に学び始めたトルコ学の分野では、現在スーフィーの歴史に関して博士課程の研究を行なっている。論文のテーマのためにアンカラヴィー・イスマイル・リュスーフィー・エフェンディの『行者作法』を選んだアンブロシオさんは、17世紀にメヴレヴィー教団やセマー儀礼の禁止が要求された要因に焦点を当てて研究した。アンブロシオさんは17世紀における伝統と19世紀における伝統が異なることから、この伝統が後の時代に作られたものである可能性があり、現在も[かつての]メヴレヴィー教団[の伝統]が存続しているとは言えないと指摘する。

(中略)

■エルサレムで純粋で偽りのないムスリムと知り合い、とても影響を受けました

問:イスラムと初めて出会ったのはいつですか?

答:「修道士になると決めてから、神学を学び始めました。2年生のときにイスラムに関する授業をとりました。先生も修道士でしたが、彼はアラビア語に精通 していました。ヒンドゥー教や仏教の授業もとりました。1996年に青年ドミニコ会修道士としてエルサレムに行きました。その時、私にとって本当に新しい 世界が開いたと感じました。そこでムスリムと出会ったのです。エルサレムに滞在中は、キリスト教徒やユダヤ教徒の聖堂に関心を持っていましたが、最も衝撃 的で新しいものがイスラムとの出会いでした。イスラエルには2週間滞在しました。その時にアラビア文字を初めて見て、驚きました。私はあの純粋な人々を見つけ、『彼らの礼拝は真のものだ』と言いました。これは心からの言葉でした。帰国後に大修道院長と話しました。彼もまた、『なぜトルコに行こうと思わないのですか』と言いました。そして1997年にトルコに来ました。イスラムやアラビア文字に関心を持ちました。一方で、ムスリムが暮らす環境でキリスト教徒であることに興味を持ちました。」

問:ムスリムが暮らす環境でキリスト教徒であることについて、どう感じますか?

答:「それは素晴らしいことです。ある意味で、よりキリスト教徒だとあなたは感じているでしょう。なぜなら、他の人は私とは異なります。私は学び、 研究し、そして知りました。違いは、私を再び自分自身に向き合わせます。ある意味では素晴らしく、しばしば難しいことです。」

問:キリスト教の修道士として、オスマン時代のスーフィーの歴史について研究を始めることはどのようなものでしたか?

答:「イタリアで修道士になりました。修道士になった後、1998年にストラスブールでトルコ学を学び始めました。トルコ語や翻訳、トルコの歴史、そしてオスマン朝の歴史といった科目がありました。大学院に進学してからは、テーマとしてオスマン時代の神秘主義教団について学び始めました。なぜなら、 それ以前にキリスト教の神秘主義について非常に関心を持っていたからです。その時は、オスマン時代の神秘主義とはどのようなものかという気持ちで学び始めました。」

問:どのようにメヴレヴィー教団に興味を持ったのですか?以前から知識があったのですか?

答:「私の最初の研究は、ベクタシー教団の問答書についてでした。ベクタシー教団はアレヴィー派へ誘います。トルコ滞在中、このテーマは奇異に受け止められるかもしれないと考えました。メヴレヴィー教団は今でも認められている存在です。先生も『あなたはここで生活することになります。より許容される神秘主義教団を選べば、 もっと良いでしょう』と言いました。アタテュルクでさえも、メヴレヴィ教団を認めています。一度は禁止しましたが、その後メヴラーナの霊廟を人々に開きました。メヴラーナはトルコの英雄です。みなが知っています。今はメヴレヴィー教団以外の研究もしています。」

問:他の神秘主義教団についても研究しているのですか?

答:「17世紀におけるスーフィーの教説や、儀礼について研究しています。これらの研究に関する本も、近々出版されます。アナトリアにおけるすべての神秘主義教団や修道所の、17世紀の絵を描いたといえるでしょう。その他については単に歴史的なものとしてのみ知っています。宗教的グループについても、 今は関心を持っています。」

■最初は神秘主義について理解することが大変でした。

問:信仰が異なることは一部の儀礼や状況を理解する上で困難を経験する要因となりましたか?

答:「最初の頃は、神秘主義の本質にアプローチすることがとても大変でした。仕組み全体が理解できないでしょう。部分的に理解できました。しかし、学 び続けるにつれてわかるようになりました。今でも本当に自信があると言うつもりはありませんが、仕組みはだいぶよく理解しました。」

問:メヴレヴィー教団の修道所を訪ね、メヴレヴィー教団の信徒たちと知り合いましたか?

答:「最初はそういった場所を頻繁に訪ねることを望んでいませんでした。理論にとどまることを望んでいました。歴史家としてテキスト上で研究していて、実物を見る必要性はありませんでした。2つ目の理由としては、現在の展望や解釈をかつてのものと混同させたくなかったのです。しかし、知識として確固たるレベルに達したことで、そういう場所を訪問するようになりました。コンヤに行きました。現在のメヴレヴィー教団メンバーと知り合いになり、時々会っています。 昔が今を、また今が昔を明らかにすることもあります。」

問:では、昔と今で変わったことはありますか?

答:「社会的な状況が変わりました。1925年以降、あらゆることが変わったのです。なぜなら外部環境が変わったからです。これ以外では、一部のことは大体同じです。」

問:儀礼や儀式は同じですか?

答:「メヴレヴィー教団のセマーは、ほとんど同じです。儀礼については、1900年代以降に語り始めたようです。今はメヴレヴィー教団について言及する際、厳しい苦行、つまり1001日間の苦行に言及しています。イスマイル・アンカラヴィーの『行者作法』では、メヴレヴィー教団のメンバーにどのようになるかについて説明しています。彼は外部との隔絶や厳しい苦行について言及していますが、1001日間の苦行については述べていません。つまり、17世紀では1001日間の苦行の伝統はまだ形成されていなかったのでしょう。」

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(翻訳者:指宿美穂)
(記事ID:29509)