春の散策、歴史的イスタンブル・ファーティフ地区をこう歩こう
2013年04月19日付 Zaman 紙


日の長い今日この頃、イスタンブルのスピリチュアルな地区の一つ、ファーティフを改めて散策してみるのはいかがですか?答えがイエスなら、ニュアンス・ツアーのガイド、アクン・ヤヴァシュさんとともに、歴史的半島を案内しましょう。メフメト2世廟からシェイフ・ヴェファー廟へ、ヤヴズ・セリム・モスクからカドゥンラル・バザールまで、楽しい旅があなたを待っているはず…。

■朝食 9:00

城壁の真下、まるで島のようなカドゥンラル・バザール。売り子から買ったラヴァシュ、ピデ、チーズ、オリーヴの朝食。香り立つチャイ… チャイとコーヒーはこのバザールに不可欠です。ここはそれ以外にもスル・ケバブで有名。スィイルト・ビュルヤン・ケバブも日中の違う時間にご賞味あれ。

■ファーティフ・モスクと廟 10:00

私たちはイスタンブルの最初のスルタンのモスクにいます。ここはメフメト2世がイスタンブルに自分の名を刻んだ場所。2012年5月29日に修復が完了し、礼拝用に開放されているこのモスクでは、過去の静寂の中を歩きます。すぐ隣に廟があるファーティフ・スルタン・メフメト・ハーンへと進んでいきます。そして、メフメト2世の妃、ギュルバハル・ハトゥンの廟とプレヴナ(プレヴェン)の戦いの英雄ガーズィ・オスマン・パシャの廟に、コーランの開端章をおくります。

■フルカイ・シェリフ・モスク 11:00

オスマン帝国の第31代スルタン、アブデュルメジドよって1851年に建設されたこのモスクには、預言者の香りが秘められています。この神聖な場所で預言者ムハンマドの聖なる上衣は保存されているのです。

■ヤヴズ・セリム・モスクと廟 12:00

道を渡って、他の歴史的な場所を案内しましょう。オスマン帝国の第8代スルタン、ヤヴズ・スルタン・セリムの廟です。オスマン帝国にカリフ位をもたらしたこの偉大なスルタンは、同時に数々の聖遺物をイスタンブルに持ち込みました。すぐ向こう側には、先ほど訪れたフルカイ・シェリフ・モスクを建設したアブデュルメジドが眠っています。モスクはイスタンブルの7つの丘の一つにあり、素晴らしい金角湾の眺めが広がっています。

■昼食 13:00

車でイスタンブルの別の丘へ移動中。スレイマニエで昼食休憩…もちろんご当地メニューとして有名な、クル・ファスリイェ(白インゲン豆のトマト煮込み)とサイドにはピラフ、ジャジュク(きゅうりのヨーグルト和え)を、その後はクルミとゴマペーストをかけたかぼちゃのデザート…必要不可欠なチャイ。全てがおいしく、ツアーを満喫できることでしょう。

■スレイマニエ・モスクとキュッリエ 14:00

昼の礼拝は、壮麗王スレイマンが建設した、この美しいモスクで行うとしましょう。ミマル・スィナンは、1551~1558年にかけて建設したこの傑作を、「親方の作品」と呼んだといいます。モスクの4つのミナレットは、立法者スレイマンがイスタンブル征服の後、4代後のスルタンであったこと、ミナレットにある10 のバルコニーはオスマン帝国の第10代スルタンであったことを表しています。キュッリエ(モスクを囲む集合施設)にある、イスラム芸術の貴重な作品例であるエッヴェル・マドラサとサーニ・マドラサは、現在はスレイマニエ図書館として利用されています。トゥップ・マドラサのうち現存する部分は、病院として運営されています。キュッリエの食堂は、今ではダリュッズィヤフェ食堂に。廟には立法者スルタン・スレイマンと、ヒュッレム妃が眠っています。ミマル・スィナンの廟は、イスタンブル・ムフティ局の円柱つきのドアを出てすぐ左、2つの通りの交差するファトワー坂にあります。

■ヴェファーに向かって… 15:30

スレイマニエから道を下って、ヴェファー地区へ降りていきます。使われていない建物の中を通り、ヴェファーにたどり着くと、かつての面影を探します。周囲の荒んだ雰囲気は、この場所には似つかわしく無いからです。この地区の名の由来となった、シェイフ・ヴェファー・アルコネヴィーは、イスタンブル征服後、メフメト2世が招いた学者の一人だといいます。モスクや廟、修行場のすぐそばを、清浄な風が吹き続けています。

■シェフザーデ・メフメト・モスク 16:30

イスタンブルが生んだミマル・スィナンのサイン…モスクは立法者スレイマンの、22歳で亡くなった息子メフメトのために造られました。優れた建築家であったスィナンは、ここを「見習いの作品」と名付けました。午後の礼拝の後、シェフザーデ・メフメトとその兄弟のシェフザーデ・ジハンギル、リュステム・パシャの廟をめぐります。 スィナンが「ここはイスタンブルの中心だ」と言った、モスクに隣接する緑の柱が見えます。
セザイ・カラコチは、その詩のなかで、「赤みを帯びてきた地平線にあいさつを/スレイマニエよりも、ベヤズトよりも/私は強く望んでいる/日が昇る前にシェフザーデバシュにいることを…」と詠っています。

■フズル・チェレビーの廟 17:30

1453年のイスタンブル征服後、初のイスラーム法官兼行政長官を務めたフズル・チェレビーは、当時、その公正さと平等の精神によって名声を得ました。現在のカドゥキョイは、彼のワクフ地であり、地区の名はここからきています。このアッラーの祝福を受けた人物の墓は、イスタンブル布市場(İMÇ)のすぐ横にあり、そこは特に注意していなければめったに気づかれない場所です。この場所に、コーランの開端章とともに別れを告げましょう。

■メフメト・エミン・トカディの廟 18:00

道の反対側のゼイレキ坂にて。1644年にトカトで生まれたメフメト・エミン・トカディは、アッラーの慈愛を知る者によって、サハーバ(ムハンマドの教友)以後、イスタンブルの偉大な三大聖者のうちの一人とされました。エユップ・スルタン廟の番人でもあった聖者トカディは、1745年に亡くなります。
トカディの祈りの言葉でこのツアーを締めくくりましょう。
「人生で一度、我々のもとを訪れた者が、その信仰の救済なくして亡くなることのないように。」

Tweet
シェア


この記事の原文はこちら
原文をPDFファイルで見る
原文をMHTファイルで見る

 同じジャンルの記事を見る


( 翻訳者:鈴木直子 )
( 記事ID:29707 )