連ドラ『おしん』、27年の時を経てふたたび
2013年05月09日付 Jam-e Jam紙


■ペルシア語タイトルは『家を離れて幾年月』

1986年、毎週土曜日のその時間になると、街の通りには人影が少なくなった。デパートや公共の場所でテレビのあるところでは、みなが一斉に耳を傾けたものだ。あの連続ドラマ『家を離れて幾年月』――もちろん、みんなそれを《おしん》と呼んでいた――の聞きなれたテーマソングが流れてくるのだ。

あれから27年。ふたたび、《おしん》が「タマーシャー・チャンネル」[ドラマ・チャンネル]から我々の家にやってくる。そして、様々な思い出をよみがえらせてくれる。

■《おしん》の思い出

当時、まだ子供だった視聴者は、《大根めし》のことを思い出すかもしれない。そして、それらを真似た格好のおままごとまで流行らせた日本風の服[着物]のことを。当時、若者だった視聴者は、昔の日本の人々に特有の髪形を思い出して笑うかもしれない。年配の女性たちは、おしんの苦難に満ちた人生を思い出すだろう。そして、当時は若かった年配の男性たちやさらにその母たちは、[晩年のおしんが社長となる]《タノクラ》のチェーン店や、[関東大震災による]工場の火事で、[おしんの夫]《リョウゾウ》が倒産したことなどをよく覚えているかもしれない。

ふたたび、この連続ドラマを見ることで、我々はどの世代であれ、再び自分に問うことになるのだ。我々はなぜ、27年前にあれほど《おしん》に夢中になり、家路を急いだのだろうかと。

■80年代イランの苦難と《おしん》

あの頃、イランは戦争を経験していた。いかなる層であれ人々は苦難と不足を経験していた。多くの人たちが家や家庭を失い、あるいは、家を失った友人や親戚や知人が身近にいた。我々の多くが、ゼロからの出発を経験していたのだ。

[…]

《おしん》の生涯は、視聴者にパワーと希望を与えた。あの時代、この二つのもの以上に我々にとって大切なものがあっただろうか?《おしん》の物語は、我々みなの人生の物語なのだ。

(本記事はAsahi 中東マガジンでも紹介されています。)

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(翻訳者:8400001)
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