特集「タクフィールとは何か」(3):ガラヴィヤーン師に訊く
2013年08月31日付 Jam-e Jam 紙

 モフセン・ガラヴィヤーン師はイスラーム哲学に詳しい人物の一人で、これまで40冊もの著作が世に出されている。イスラーム神学校及び大学で教鞭を取るガラヴィヤーン教授は学術的な生産活動に加え、政治・社会問題にも意見する、原理派に属する第一級の宗教指導者である。

 タクフィール問題への対策として、ガラヴィヤーン師は、イブラーヒーム的宗教〔※ユダヤ教、キリスト教、イスラーム教〕の指導者たちによる世界会議を立ち上げることを提案している。同師にとって、タクフィールとは宗教的な潮流というよりはむしろ政治的な潮流であり、近年のタクフィール主義者のウラには西洋の手が隠れているという。ガラヴィヤーン師は、タクフィールはムスリムだけでなく、世界のあらゆる一神教徒をも弱体化させていると指摘する。ジャーメ・ジャム紙が同師に対して行った、タクフィールに関するインタビューを以下に掲載する。

タクフィールはイスラームの基礎に根拠を有しているのでしょうか

 われわれの伝統では、宗教の原理原則を否定する者はカーフィル(不信仰者)であり、タクフィール(背教徒・不信仰者宣告)とはそうした者にクフル(不信心)の罪を帰せる、という意味である。しかしある分派が他の分派をカーフィルとするようなことが、イスラームの諸分派の間で行われた前例はない。イスラーム学者や法学者の間で、この問題についての確たるファトワーは存在しない。

 現在、ワッハーブ派ならびにサラフィー派がシーア派信徒に対してタクフィールをしているが、それは彼らの政治的私欲に基づいて行われているものであり、こうした行為に対して、イスラーム法学上・宗教上の根拠は存在しない。

 植民地主義はこれまでつねに、〔イスラーム世界に〕対立を持ち込むためにタクフィールという武器を用いてきた。そして、〔イスラーム世界を〕分裂させ、自らの政治的願望を実現させるために、エジプトやシリア、イラク、その他のイスラーム諸国でタクフィールというまさに同じ武器を、今も用いているのである。

イスラームの歴史では、ハワーリジュ派がタクフィールを使ってきました。この集団はタクフィールをするにあたって、何らかの宗教的根拠を有していたのでしょうか?

 ハワーリジュ派は信徒の長アリー・イブン・アビーターリブの統治を受け入れず、ハワーリジュ(外に出た者)の名で知られるようになった。当時、この集団は政治的・経済的起源を有し、現世的な欲望に端を発する集団だった。すでに指摘したように、イスラーム法学の文献にはタクフィールの前例となるものは存在しない。預言者に啓示が下った時代を見てみると、ムスリムがイスラーム教から離れ、当時のキリスト教やユダヤ教の不信仰者の影響下に入ることのないよう、預言者がイスラーム社会を守るべく、〔イスラーム教徒がキリスト教徒等に改宗することを禁ずる〕法規定を示した事実はある。しかしイスラーム諸派が互いにタクフィールをし合うことを許す、確たる根拠は存在しない。〔‥‥〕

殉教者モタッハリーのような一部の思想家は、マルクス主義に関する講座を〔イスラーム神学校内に〕開設しました。〔にもかかわらず〕現在、表現の自由と対立するとして、イスラームを非難する人が一部にいます。タクフィール集団のような存在が、こうした批判に勢いをつかせています。表現の自由に価値を置く真のイスラームの支持者はどうすべきでしょうか?

 もし誰かが宗教の原則を否定したのであれば、その者がタクフィールを受けることはありうることである。〔‥‥〕例えば、もし誰かが神ないし来世を否定したのなら、その者はタクフィールの対象となるだろう。しかし他方、もし誰かが議論の中で批判をしただけで、必ずしも否定したわけではない場合、単に疑問や懐疑を表明しただけであるような場合、われわれはその者に対してタクフィールをすることはできない。〔‥‥〕

キリスト教徒の中にもタクフィール主義者はいるのでしょうか?

 キリスト教徒にもいろんな宗派の人々が存在する。カトリック信徒、正教徒、プロテスタントなどである。カトリック信徒や正教徒は伝統主義者であるため、彼らにもタクフィール問題が存在する。しかしプロテスタントにタクフィールをめぐる議論は存在しない。つまり、キリスト教徒の間にも意見の相違が存在するということだ。

 いずれによせ、タクフィールは相対的な問題である。誰でも、自分こそ正しく、他人は誤っていると考えている。タクフィールはこうしたことに由来するのであり、この問題に対しては解決策が模索されるべきだ。各宗派、各宗教の第一級の学者が会議を開き、〔許容されるものとそうでないものとの間の〕境界をはっきりさせ、タクフィールについて新たな規則やファトワーを示すべきだろう。

 数日前、私はアメリカの大学から来たカトリックの神学者らと、ゴムにて会議を開いた。そこでこの問題が提起された。その結果、諸宗教の第一級の学者らによる世界会議を催し、「イブラーヒーム(アブラハム)的宗教〔=一神教〕の日」を設けるべきだ、ということになった。「イブラーヒーム的宗教の日」は、イブラーヒーム閣下の生誕日とし、諸宗教間の対立を減らし、壁を低くするべく努力することが提案された。

イスラームはタクフィールのせいで、暴力的なイメージをともなうものとなってしまいました。タクフィール派はイスラームに、どのような害を与えているとお考えですか?

 タクフィールが与えている重要かつ主だった害としては、ムスリムならびにイスラーム世界の分断が挙げられると思う。タクフィールが世界中の敬虔なる人々をバラバラにしているさまを、私たちは目の当たりにしている。〔‥‥〕宗教の内側を見るならば、ムスリムたちはタクフィール問題によって分裂させられ、彼らの力は弱体化していることが分かる。植民地主義と抑圧諸国はつねに、この武器を利用してきたし、今もしている。外に目を向けるならば、諸宗教間の関係においても、タクフィールによって世界中の敬虔なる人々が分断されてしまっている。そして無宗教、世俗主義、神と審判の日に対する無信仰が世界中で増殖している。



本記事はAsahi 中東マガジンでも紹介されています。

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( 翻訳者:白糸台国際問題研究所 )
( 記事ID:31430 )