「おしん」から30年:日本の経済発展のモデルは2010年代イランの子供たちにとっての道標(1)
2013年10月10日付 Mardomsalari紙


【マルヤム・フィールーズファル】最近、人気ドラマシリーズ『家を離れて幾年月』〔※『おしん』のペルシア語タイトル〕のうち「おしん」の子供時代を扱った箇所が、映画という形でまとめられ、「エスファハーン子供・青少年映画祭」にて子供や青少年向けに上映されている。テレビドラマ『家を離れて幾年月』(原題は『おしん』)は永遠不滅のドラマシリーズと言えるもので、1983年、正確にはイラン暦1362年ファルヴァルディーン月15日〔1983年4月4日〕から日本の放送局NHKで放映された。それも朝に、である。実際、この作品は朝のシリーズ物のドラマで、毎日15分間放映された。

 297話からなるこのドラマシリーズは実話に基づいて作られたもので、和田一夫という名の男性の出来事についてである〔※ママ。ヤオハンの創業者 和田和夫の実母 和田カツが「おしん」のモデルであるという説がある〕。彼はヤオハンというチェーンストアのオーナーで、ゼロから財を成した。実際、『おしん』は経済発展に向けたインセンティブを作り出す目的で制作されたもので、言うまでもなく、革命後にイラン国営放送で放送された最初の日本のドラマシリーズだった。

 ドラマシリーズ『おしん』は人々の間で大変な人気となり、これまで世界中のテレビ局で何度も放映されてきた。中には「おしん」のことを世界で最も有名な日本人女性であると考える人もいる。

 おしんは家族の象徴だった。彼女は子供時代に大変な苦労をする。極度の貧困のために父親にも愛されず、何よりも必要なもの、即ち食べ物の確保のために、子供の頃から家族と離れて暮らすことを余儀なくされた。しかしにもかかわらず、彼女が父母のことを忘れたり見捨てたりするようなことはなかった。彼女はいつも父や母その他の家族を愛し、どのような状況下でも父の教えに従った。

 習い性となったおしんの忍耐は青年期に入っても続き、妻として、また子供たちの母として、家族を守ることに全力で努めた。実際、おしんにとって家族という温かい囲炉裏は最も大切なものだったのであり、この日本のドラマシリーズが永遠不滅であることの秘密は、恐らくこのことにあるのだろう。

 第二次世界大戦中の貧しい少女の生活を扱っている『家を離れて幾年月』〔※ママ。実際には、おしんは20世紀初めに生まれたという設定になっており、おしんの少女時代は明治の終わりから大正初め頃にあたる〕は、橋田壽賀子原作で、江口浩之、小林平八郎、竹本稔、望月良雄、吉村文孝、江端二郎ら8名の監督によって制作された。プロデューサは岡本由紀子であり、坂田晃一氏がシリーズ『おしん』の音楽を担当している。このドラマシリーズは世界60ヵ国で放映され、視聴率は62%を超えている。その数年後には、このドラマシリーズを基にした子供向けのアニメーション作品が制作され、最近、すなわち2012年には『おしん』の映画用フィルムを元にした〔新たな〕映画版も制作されている〔※ママ〕。

 『おしん』の放映はこれらの国々に多大な影響を与えた—とはいえ、日本人自身はあまり『おしん』の価値を信じてはいなかったが。彼らは、日本人の貧困・悲惨に関する物語が次々と世界中を巡り、今や世界の一大先進産業国となったこの国の不快な姿を世界に晒す必要はないと考えていたのだ。

 しかし、『おしん』はあらゆる国境を越えた。日本のとある橋には彼女の名前が付けられ、ベトナム人は家政婦を「おしん」と呼ぶほど、重要となったのだ。物語が進むと、おしんは「リュウゾウ・タナクラ」(田倉竜三)と結婚する。すると、イランでは古着の人気が上がったのである。最後には、おしんとその夫は商売の新たな段階へ入り、古着販売で成功を収めた。言うまでもなく、『家を離れて幾年月』のこの場面は極めて強い影響力をもっていた。というのも、30年が経ってなおも(それは大した時間でもないが)、イランでは古着販売店は「タナクラ」の名で知られているからだ。〔※〕

※訳注:『おしん』の中で「おしん」は「田倉竜三」(タノクラ・リュウゾウ)と結婚し、子供服製造業で成功する。こうしたことから、イランでは俗に古着屋のことを「タナクラ店」、古着のことを「タナクラ服」と呼ばれている。

つづく




本記事はAsahi 中東マガジンでも紹介されています。

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(翻訳者:8411181)
(記事ID:31721)