なぜ「アメリカに死を」なのか(上)
2013年11月02日付 Jam-e Jam 紙

 ある日が〔国の公式の〕記念日になるには、長大な手続きと侃々諤々の議論を経ることが必要だ。公衆文化評議会の事務局での審査を皮切りに、同評議会、そして文化革命最高評議会に送られて、そこで認められて初めて国の公式カレンダーに登録されるのである。ただし、アーバーン月13日〔=11月4日〕が「世界の抑圧と闘う国民記念日」〔※俗にアメリカ大使館占拠記念日〕となったのは、第3期国会の議決によってであった。

 このように、国の記念日は社会的なものであり、イラン社会、そしてイスラーム体制の中に深く位置づけられている。別の言い方をするならば、そこには〔国家にとって〕戦略的な側面があるのであり、一部の人物の議論や一時の論争、ないし特定の問題をめぐる〔政治関係者らによる〕一部の戦術的な動きの影響を受けるようなものではないのである。

 アーバーン月13日の「世界の抑圧と闘う国民記念日」まで3日を切り、イランで執り行われる同日の式典に、世界の人々の注目が集まっている。この式典は、例年ならば通常のプロセスを経て〔粛々と〕行われるのだが、しかし今年はこの式典を色褪せたものにせんとする「雰囲気作り」や、敵と同一歩調を取る一部の人々・党派の企てが原因で、〔逆に〕式典をより盛大かつ大規模に、熱気あふれる形で行おうとする気運が勢いを得ている。しかし貴重かつ称賛すべきこうした熱気とは別に、ここで一度、なぜ抑圧諸国との闘争を継続し、「アメリカに死を」のスローガンを繰り返すことが大切なのか、その理由について振り返ってみることも必要だろう。

 まず指摘しておかねばならないのは、闘争、戦争、論争、敵対関係、その他いかなる言葉で呼ぼうと、それはまずアメリカから始められたものであり、同国の政府関係者によっていまだ不断に続けられているということである。アメリカがイラン国民に対する敵対行為を始めて、1日とか2日、10日、20日ではなく、すでに60年以上が経っているのであり、それはいまだに続けられているのだ。

 こうした敵意は極めて明確であり、それを示す「しるし」や「現れ」について繰り返し指摘することは冗長に過ぎるかもしれない。が、その一部について振り返ってみることは有益だろう。

 ペンタゴン高官のリチャード・ペレルは1382年アーバーン月〔2003年10/11月〕、次のようにはっきりと述べている。「イランのレジーム・チェンジ(体制変更)は永遠に、アメリカのアジェンダ(命題)として残り続けるだろう」。

 ジョージ・ブッシュは1386年〔2007/8年〕に、「アメリカはイランに対し、イスラエルを支援する形で第三次世界大戦を起こす用意がある」と述べ、ワインバーガー元米国務長官も、「真の問題はイラン国民であり、同国政府ではない。イラン国民の根を断つことが必要だ」などと、恥知らずなことを言っている。

 アメリカの現政権関係者も、この点で例外ではない。オバマは上院議員時代に、1385年〔2006/7年〕のAPEC会議の場で、イラン政府を憎悪の念を起こさせる存在と呼び、1390年〔2011/2年〕には「歴史が記憶する限りで最も重い制裁を、イランに対して科すつもりだ」と表明した。最近では、シャーマン米国務次官が再度イラン国民を標的にして、「ペテンはイラン人のDNAの一部だ」などと言っている。

 アメリカ当局の敵意と侮辱がイランの政府や体制に対してばかりか、イラン国民にも向けられていること、〔ワイン〕バーガーのような人物はイラン国民こそ真の問題だと考え、その根を断つことを呼びかけている!ことに注意しなければならない。それゆえ、我が国民ならびに政府がしてきたのは、アメリカのこうした敵意や支配の意志、そして侮辱への応答にすぎないのである。それは名誉を重んじ、他国の支配を潔しとしない偉大なるイラン国民の精神に由来する、賢明なる反応なのである。

つづく




本記事はAsahi 中東マガジンでも紹介されています。

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( 翻訳者:ペルシア語記事翻訳班 )
( 記事ID:31932 )