なぜ「アメリカに死を」なのか(下)
2013年11月02日付 Jam-e Jam 紙

 第二に、抑圧主義や覇権主義に対する闘争は、歴史上のあらゆる平和的運動と同様に、イスラーム革命の本質的特徴だということである。憲法第152条にも、次のように明言されてある。「イラン・イスラーム共和国の外交政策はあらゆる種類の覇権主義を否定する〔‥‥〕ことに基づく」。そして「アメリカに死を」のスローガンはこの本質を示すものなのである。

 イラン・イスラーム共和国はこれまで、アメリカ人の死に関わるような行為に及んだことは一切ない。しかしアメリカに対して、何度も繰り返しそれ〔=覇権主義の否定〕へ向けた歩を進めてきたことは事実である。

 アメリカは正式かつ公然と、イランに対するサッダームの攻撃を支持し、〔モサッデグ元首相に対して行ったように〕軍事クーデターを計画・実行し、イランの地に軍事攻撃を仕掛け、約300名の乗員・乗客を乗せた旅客機を撃墜し、イランでさまざまな暴動を起こし、さまざまなテロ組織を支援し、何度も軍事攻撃の脅しを行い、今も対話の一方で「あらゆる選択肢がテーブルの上に置いてある」などと恥知らずなことを言っている。これまで一度として謝罪しようとしないこうしたあらゆる不正義や犯罪行為に対し、勇敢なるイラン国民は何をすべきだろうか。

 彼らはわれわれを殺し、あるいは殺すと脅迫している。そして一部の者は、敵が不快な気持ちにならないよう、われわれは〔「アメリカに死を」の〕スローガンは叫ぶべきではないなどと、臆病にもすごすごとした様子で勧告しているのである!しかしその一方で、今や「アメリカに死を」のスローガン、及び同国の国旗に火を付ける行為はイラン国民の専売特許ではなく、アメリカの圧制を経験した世界のあらゆる被抑圧者たちの象徴的行動となっている。そしてそれは、親米政府の国にも広がっているのだ!パキスタン、アフガニスタン、イラク、そして少々遠いがエジプトやレバノンなどの国々を一瞥すれば、十分だろう。

 第三に指摘しておかねばならないのは、「アメリカに死を」のスローガン、そして「世界の抑圧と闘う国民記念日」の盛大なるお祝いは、核交渉と何ら矛盾しないばかりか、交渉を支え、アメリカの欲深い要求を抑えるものであるとも考えられるということである。このスローガンを叫ぶことはまた、対抗措置と理解することも可能だ。つまり、圧力がアメリカ交渉団の支えとなっているように、「世界の抑圧と闘う国民記念日」のような記念日を、我が国の交渉団を支えるものとして活用すべきなのである。

 最後に、今年のアーバーン月13日は、〔イスラーム太陰暦1月で、不正義との闘いの象徴とされるシーア派第三代イマーム・ホセインが殉教した〕ムハッラム月に近い〔※今年のムハッラム月1日は西暦11月5日にあたる〕、ということを指摘しておこう。今日われわれが唱える「アメリカに死を」のスローガンは、〔第三代イマーム〕ホセイン・ブン・アリーがヒジュラ暦61年のアーシューラーの日〔※イマーム・ホセインとその一族郎党がウマイヤ朝の軍勢によって現イラク・カルバラーの地で殉教した日(ムハッラム月10日)のことで、西暦680年10月13日にあたる〕に叫んだ、「屈辱は我らから去りし」〔※1〕の叫びの翻訳に他ならない。そしてこれは、「どこもがカルバラー、毎日がアーシューラー」〔※2〕という意味深き表現の釈義なのだ!

※訳注1:「正義のために命を賭して戦うことは、屈辱を甘受することよりも尊い」ということを表すために唱えられるアラビア語のスローガン。現在イラクなどにいるアラブ系シーア派信徒(特にムクタダー・サドルの支持者ら)の間でも頻繁に用いられている模様。

※訳注2:1979年革命で絶大な影響力を有した革命イデオローグのアリー・シャリーアティーが、イスラームは正義の実現を不断に目指す宗教であり、アーシューラーの日にカルバラーの地で散った第三代イマーム・ホセインの死はその象徴であるということを主張するために唱えた、いわば「世界永久革命」を訴える標語。ただし、このコラムで使われている表現は、シャリーアティーが使っていた表現と微妙に異なる。



本記事はAsahi 中東マガジンでも紹介されています。

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( 翻訳者:白糸台国際問題研究所 )
( 記事ID:31933 )