Cengiz Candar コラム:外交のリセット―トルコ・クルド同盟と、クルド分裂
2013年11月13日付 Radikal 紙

バルザーニーのディヤルバクル訪問は、あらゆる点で、同地域での「公正発展党(AKP)・クルド民主党(KDP)同盟」への着手を意味している。

中東地域内におけることの展開は常におさまることはない。新しい「方程式」では、それが新しいほど必ず「一時的な」連立がつくられ、新たな同盟へと向かう。中東の政治環境を砂漠の砂に似せる人のこの考えは正しい。政治は脆弱な地盤の上にあり、政治は変化し、万事は急速に変化し得る。

こうした一般的な状況を表すもののうちの一つは、トルコ外交においてここ暫く行われようとしている「新たな調整」である。トルコは、シリアに関し正しい方向で進んだ後、バッシャール・アサドの罠に陥ることになり、「宗派的な」政治のジレンマに陥り、徐々に同地域と世界の中で「アルカイダの兵站基地」というイメージを与え始め、経験豊富な外交官テメル・イスキトの表現を借りると、今外交政策を「リセット」しようと試みている。

これを最も明示しているのは、イラン・イラクとの間で始まった新たな「模索」である。トルコは、サウジアラビアとカタールとの地域的な、しかし無意味で誤った「宗派的な」軸の上に立って、ロシアが支援するイラン・イラク・シリアの路線に反対しているかのように見せ、この軸を通じてアルカイダとさえ奇妙な関係に取り つかれているが、まずイラン、その後イラクとの関係を整えようとした。この最中、アルカイダに関する非常に厳しい発言が、エルドアン首相の口から発されることとなった。アフメト・ダヴトオール外相も同件に関して「態度」を変えた。

大統領と外務大臣という肩書で人びとに良いイメージを植え付けたアブドゥッラー・ギュルは、地域政策の「リセット」に関しては重要な役割を果たすことになった。イランの新大統領ハサン・ロウハーニーをトルコへ招待した。同時にイスタンブルでイランの新外相モハンマド・ジャヴァード・ザリーフとダヴトオール外相はアプローチする様子を見せた。

それから大分経った後、イラクの外務大臣(マスード・バルザーニーの叔父)フーシヤール・ズィーバーリーが来土した。数日前ダヴトオール外相は、「恋しいと発言し」、2012年夏にマーリキー政府に極秘でキルクークを訪問したことで、その後[訪問を]閉ざされていたイラクへ向かった。訪問先はバグダードのみにとどまらなかった。[シーア派の聖地]ナジャフとカルバラーも訪問した。シーア派の宗教指導者と指導者と面談した。シーア派の聖地に滞在し、「宗派的な政策は実施しない」というメッセージをあらゆる態度で示そうとした。

これと並行して、突然アルカイダ向けとされている弾薬が、トルコ国内で押収された。つまりトルコは、「アルカイダ支援のイメージ」からアルカイダと闘っているというイメージへとその立場を変えた。このイメージを、まずは米国や欧州に与えているが、最も重要なのはイランとイラクに与えようとしていることだ。

私たちは、長い間、トルコのシリア政策がアルカイダへの支援となり、反クルドという沼地を進んでいるという理由で批判してきた。この政策が変化したことは、良いことでありプラスであり、我々の批判がどれほど正しく的を得ていたかを表している。もちろん、「外交政策のリセット」という光景が、米国とイランの間に新しいページを開く可能性をつくりあげ、オバマ政権がイスラエルとの摩擦に対して、イランと協力するという決定を下したことが同時に起こったことを覚えておく必要がある。

同様に、米国は、イラクを大いに不快にさせるトルコ・北イラクの間の「接近」をあまり快く思っておらず、トルコ・イラク間の橋の再構築を教唆しており、この間アルカイダに対する「安全保障協力」を前面に出す形でイラクのヌーリー・マーリキー首相をもてなしたことを忘れてはならない。 マーリキー首相の米国訪問は、ウォール・ストリート・ジャーナルとワシントンポスト紙上で実はエルドアン首相を標的としてしていたとされている「一斉攻撃」後に起こったことも触れておこう。

マスード・バルザーニークルド自治区大統領がシーヴァン・ペルウェルと共にディヤルバクルにエルドアン首相と会談に来るという極めて重要な展開を、こうした背景をもとに読み解くことが必要だ。

誰が何と言おうと、マスード・バルザーニークルド自治区大統領がシーヴァン・ペルウェリと共にディヤルバクルにエルドアン首相と会談に来たことは、首相の評価と地位に「政治的成功」として記録されるだろう。

この出来事は、「選挙への道のり」でエルドアン首相が望んでいる点数をさらに超えるものという結果を生み出そう。アフメト・テュルクは、バルザーニーがエルドアンと会談するためディヤルバクルを訪問することを知ると「驚愕した」と言い、イラク系クルド人指導者に抗議を込めたメッセージを送った。そこには次のような言葉が書かれていた。

「全クルド人が敬愛なるバルザーニー大統領に注目している…。バルザーニー大統領が(エルドアン)首相の招待を受けアメド(ディヤルバクルのこと)を訪問することは、思うにクルド人の間で大きな議論を巻き起こすことになるだろう。我々の目的はバルザーニーについて議論することではないし、議論されることなど望んでもいない。しかし敬愛なるバルザーニー大統領によるこの訪問後のメッセージが重要である。彼の発表は我々をさらに明瞭な結果へと導くだろう。しかし、もちろんクルド人の期待を正しく読み取る必要がある…。誰かさんはこの先の選挙のためにディヤルバクルへ招待した可能性がある。この可能性も人々は議論している…。」

実際は、マスード・バルザーニーのKDPと、PKK(クルド労働者党、非合法組織)傘下にあるクルディスタン社会連合(KCK)のシリア分派である民主統一党(PYD)との間でここ数週間明らかな摩擦が起こっていた。PYDを支持しているPKK・BDPとバルザーニーは「波長が合っていない」ことは明らかだった。であるから、最初に延期された後、11月24日・25日に北イラクで行われると言われていた史上初の「クルド民族会議」は再度、 そしてさらには日程未定で延期された。

大いに強調しておく必要がある並行現象は、ロジャヴァで、つまりシリアのクルド地域でANF(フラート報道通信)の報道では「西クルディスタン暫定政権」を設けるため82名の創設議会が決定を取ったのが、エルドアン・バルザーニーのディヤルバクル会談と同じ日であったことだ。バルザーニー派のシリアのクルド人は、トルコ政府の要請に沿ってシリア反政府勢力の「統合」メンバーの一員としてジュネーヴ会議2への参加を受け入れた。一方で、シリアのクルド人の中で彼らが勢力圏を持つことができない、アフリーン、コバーニー、アルカイダをはじめとした「ロジャバ」の三地域では、「クルド政権の形成」はPYDが予定し、BDPが支援する形でことが運ぶこととなろう。

これに対し、ディヤルバクルでの会談により、トルコではPKK-BDPのラインに属さないすべてのクルド人は、「クルド政治舞台」では「バルザーニーを汎クルド指導者」として支持し、トルコの選挙ではBDPに対しAKPを支援することに向かうであろう。

ディヤルバクル訪問は、あるゆる点で、同地域における「AKP・KDP同盟」形成の試みを意味している。もちろん、これは修復を試みているトルコ・イランとトルコ・イラク関係にも「投影する」こととなるだろう。トルコ・北イラク軸[形成]は、ディヤルバクルに影響を与えるのと同様に、トルコ・イランとトルコ・イラクの関係修復においても「細かな調整」の必要なことを示している。

なぜなら、トルコと北イラク国内を通るイラク・クルド石油・天然ガスをトルコへ、そしてトルコを通って世界へ運ぶプロジェクトが、イラク(とイラン)によって受け入れられると考えられるいかなる理由も見当たらないからである。

この間、トルコでの「和平プロセス」の、「クルド側当事者」がバルザーニーと摩擦を起こしている間、当の「摩擦」が未だに乗り越えられていない中(これを乗り越えたといえるのは「クルド民族会議」の開催である)、エルドアンとバルザーニーのディヤルバクル会談によって特別な象徴的価値を獲得する「[両者の]接近」が「和平プロセス」にどのように投影するかは、また別の気になる点ではある。

エルドアン首相とマスード・バルザーニーの間で実現する「トルコ・クルドの接近」をこれからも追跡し続けよう…。

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( 翻訳者:釘田遼香 )
( 記事ID:31971 )