悪魔の祭典:イランでハロウィーンが浸透しつつあるのはなぜか(2)
2013年11月04日付 Iran 紙

強い警告

 社会の一部がハロウィーンになびく傾向にあることは、国の文化行政を担う責任者らに対する警鐘となり得るだろう。つまり、もし今対策を考えなければ、今とは全く異なった状況に将来直面する可能性がある、という警鐘だ。社会学者のレザー・ギヤースィー氏は、次のように言っている。

基本的に問題となっているのは、ハロウィーンという祭りの良し悪しではない。西洋で催されているハロウィーンの哲学が何であるのか、という問題でもない。そうではなく、イランには多様な民族的・宗教的行事があるのに、このような祭りがイラン文化に入り込んでしまったのはなぜか、ということが問題なのである。

この現象は最近になって生じたものであるが、今すぐにこのことについてしっかりと考えなければ、明日にはハロウィーンと格闘する羽目に陥るだろう。バレンタインもこのように我が社会に浸透し、一つの普通の行事へと徐々に変貌していったことを覚えているだろうか。今やバレンタインは、あらゆる町で行われている。もし今さら別の行事で取り替えるようなことをしても、人々から不興を買い、見向きもされなくなってしまうだろう。

衛星放送やインターネットといった通信手段の拡大によって、こうした行事の〔イラン文化への〕侵略が始まっていることは、当然のことである。もし対策を考えず、防止策が講じられなければ、〔ハロウィーンという名の〕この行事が〔イランの伝統的な〕さまざまな楽しい祭りに取って代わってしまうことになるだろう。

娯楽の不在

 ハロウィーンは楽しく祝うお祭りである。各種の写真や映像がそれを物語っている。恐らく、一部のイラン人の若者たちがハロウィーンになびいてしまうのも、このことが原因だろう。

 レザー・ギヤースィー氏はこのことについて、次のように述べている。

私たちは楽しい雰囲気を作り出す行事の〔欠如という〕深刻な危機に直面している。若者のエネルギー発散の問題、若者の健全な娯楽の問題で、深刻な危機に直面しているのである。

実際、こうした危機は若者の本質に対する無関心に起因している。もしあなた方の社会が、若者が人口の多くを占める社会であるというのなら、興奮や享楽といった若者が必要としている最重要かつ根本的なものに対して、そして真新しいものを好む彼らの性格に対して、無関心を装うことはできない。イラン人の文化とは何ら接点のない〔ハロウィーンやバレンタインといった〕行事に〔若者が〕なびいているのも、こうした無関心の結果に他ならない。

つづく




本記事はAsahi 中東マガジンでも紹介されています。

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( 翻訳者:白糸台国際問題研究所 )
( 記事ID:32040 )