都会で毎日のように起こる喧嘩、その原因(上)
2013年12月17日付 Jam-e Jam紙


 あなたはどのようにして死にたいだろうか?拳で殴られて?それとも鉄の棒で殴打されて?あるいはナイフで刺されて?はたまた銃殺?どれでも変わりはない。路上で喧嘩が起きれば、何が起きてもおかしくはない。実際、些細な出来事が原因で、互いに知りもしない相手ともめて、互いを困難な状況へと巻き込む、数々の事件を我々は毎日のように警察署や裁判所で目にしている。

 クラクションを鳴らしたとか、ちょっとぶつかったとか、「ガン」をつけたとか、体を押したとか、そういったことが揉め事の原因となる。一度謝ってしまえばその場を収めることのできるような一見些細な事件が、どのようにして痛ましい、時に重大な犯罪へと発展してしまうのかを知りたければ、毎日、新聞の事件面を覗くだけで十分だろう。

 検察庁で扱われる刑事事件を調査して分かるのは、重大犯罪の6割以上が単なる罵り合いが発端となって起きた諍い原因だということである。ほんの少し自制心と寛容な心さえあれば事件発生を防ぐことのできるような〔理性的な〕人物が、〔罵り合いを始めてから〕少し後に揉め事を起こし、物的・人的被害を発生させてしまう。こうした行為は時に、〔殺人・傷害などの〕重大事件、そしてそれに対するキサース刑〔※同害報復刑、殺人の場合は死刑〕へとつながっていくのである。

 少し前のことだ。テヘランのとある通りで、自分の乗っていた車を破損させ、交通渋滞を引き起こしていた中年男性が、クラクションを叩きながら悪態をついてきた若者と喧嘩する出来事が起きた。若者が我に返ると、中年男性は胸部を殴打されて、唖然とした様子で立ちつくす群衆の目の前で絶命していたのであった。

 この若者は逮捕後、検察庁で刑事事件担当の予審判事に対し、次のように訴えたという。「ボクはまだ夢を見ているんです。一人の人間を殺してしまったなんて、想像だにできません!」しかし残念ながら、裁判の結果、この若者には遺族の希望によりキサース刑の判決が下された。つまり、一瞬の怒りに囚われてしまったがために、2人の人間の命が失われてしまった、というわけだ。

 ほんの数日前、テヘラン東部であるバスの運転手が、バスをテヘランパールス地区にある通りに駐車しようとしたときのこと、バスを他の場所に止めるように近隣住民の一人が抗議したことがきっかけとなって、双方の間で揉め事が発生、バス運転手が道のわきに植えられていた木に頭をぶつけて、命を落とす事件が起きた。抗議をした近隣住民は司法の命令によって逮捕され、刑務所に送られている。

 こうした事件について触れる場合、罵り合いが路上での揉め事の原因の第一位を占めるということ、そして揉め事の多くは人々の忍耐力が弱まる暑い季節に起きているという統計に、目を向ける必要があろう。

 法医学ならびに救急救命分野の専門家らの指摘によると、今年〔2013年3月21日~〕に入って初めの4ヵ月間で、226,617人が路上で起きた様々な揉め事に起因する被害に遭って、全国の法医学センターを訪れており、そのうち158,659人が男性、67,958人が女性であったという。しかし実際、これらの揉め事のそもそもの原因は何なのであろうか?

つづく




本記事はAsahi 中東マガジンでも紹介されています。

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(翻訳者:8411168)
(記事ID:32422)