メスバーフ=ヤズディー、ロウハーニー大統領を激しく攻撃(下)
2014年06月07日付 Mardomsalari 紙
ホメイニー(左)とバーザルガーン(右)
ホメイニー(左)とバーザルガーン(右)

 同師は、こうした〔即物的な〕見方や解釈はイスラームの初期から今日に至るまで存在してきたものだとした上で、次のように指摘した。

イマーム〔・ホメイニー〕がまだパリにいた頃、尊敬に値するイスラーム的な人物であると当時は考えられていたバーザルガーン氏が憐れみの情と善意から、イマームにシャーとの対立を終わらせるよう提言したことがあった。シャーとその軍隊と対峙することはできず、もしそのようなことをすれば、状況はさらに悪化するとの考えからだった。もちろん、イマームはバーザルガーンの話を聞いた後も、シャーは追放されねばならないとの姿勢を崩さず、シャーの軍隊に対して、シャー追放後、イスラーム共和国に合流するべき自分たちの仲間であると呼びかけたのであった。

※訳注:ここでメスバーフ=ヤズディーが言っているのは、イラン・イラク戦争の早期終結を望んでいたような人物は、シャーとの革命闘争の終了を提言したバーザルガーンと同じような妥協的・即物的性格の人物だ、ということである。恐らくメスバーフ=ヤズディーは、核問題をめぐって欧米との宥和路線を取っているロウハーニー大統領も、バーザルガーンと同じだ、ということを示唆しようとしているものと思われる。なお、バーザルガーンは革命後、暫定政権の首相に任命されたが、後にホメイニーの路線と対立し、その後はイラン国内に残りながら、異端的知識人として90年代まで活躍、後の改革主義思想に大きな影響を与えた人物。ホメイニーは後に、バーザルガーンらを「リベラル」と非難し、彼を首相に任命したことは「過ちだった」と後悔した。

 同師はさらに続けた。

〔イマーム・ホメイニー逝去記念日である〕今日、イマームは墓から顔を出して国の責任者たちが何を話しているのか、目撃することになるだろう。イマームもイスラームを知らなかったなどと口走っているあの責任者たち、革命初期に行われた一部のことについて、間違いだったなどと言っているあの責任者たちの話をだ。イマームは力強く、それを支持していたというのに、である。

 同師は、「残念なことに、こうしたことを言っている者たちは、ターバンを頭の上に載せている人物だ」と述べた上で、

果たしてこうした輩は、人民には理解できない、彼らの頭では処理できない、などと考えているのか。果たして彼らは、中身のない外交辞令を言い、《最高指導者》の語を始終使えば、自分たちの行動が最高指導者のご命令と明確に対立しても、人民を欺せるとでも思っているのか。

 と断じた。

 同師は、「神に誓って、年端もいかない一部の子供の方が、西洋かぶれした政治関係者たちよりもよく理解している」と指摘した上で、「人民は気がついている、敵は〔政府の〕責任者たちの屈服に対して、ずかずかと前に進み出て、厚かましい振る舞いをするようになっているということを。ところが一部の〔政府の〕責任者たちは、いまだにこのことを理解していない」と述べた。

 同師は最後に、「最高指導者の明確な発言に従うならば、師が《文化》の語で意味しているのは、革命的なイスラーム文化のことだ」と指摘した上で、

宗教と革命のスローガンをもっと理解する必要がある。われわれが知らねばならないのは、文化とは地方の踊りやら方言やら訛りやらのことではないし、アメリカ的イスラームのことでも、妥協のイスラームのことでも、外交的イスラームのことでもない、そうではなく革命的イスラームのことだ、ということである。

 と強調した。



本記事はAsahi 中東マガジンでも紹介されています。

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( 翻訳者:白糸台国際問題研究所 )
( 記事ID:34290 )