CHP辞任のタルハン、アナドル党結成
2014年11月14日付 Cumhuriyet 紙


エミネ・ウルケル・タルハン氏は1963年11月29日にメルスィンのタルススで生まれた。アンカラ大学法学部を卒業。弁護士として活躍後、裁判官になった。2001-2011の間、最高裁の第4刑事小法廷で調査官としての任務に就いた。2006年に創設された裁判官・検察官協会(YARSAV)の創設メンバーであった。その後YARSAVの事務局長や会長の任務に就いた。国会議員立候補のため2011年に調査官とYARSAVの会長を辞任した。

2011年の総選挙で共和人民党(CHP)からトルコ大国民議会(TBMM)第24会期でアンカラ県出国会議員として選出された。2011年6月から2013年6月までの間、CHP会派副代表となった。2014年10月31日にCHPから離党した。タルハン氏は既婚で2人の子供の母である。

■CHP離党の際の会見

アンカラ県出国会議員のタルハン氏は、「大きな希望を抱いて入党したCHPから離党します」と話し、CHPから離党した。

タルハンは書面で次のように述べた。
「CHP執行部は、我が国がはらむ戦争の危険も含め、子供たちの将来という点から非常に大きな重要性を持つ2015年の総選挙の前に、党内での民主主義の扱われ方、選挙での敗北、特に大統領選挙を第一投票で与党を渡してしまった過ちから学び、真剣にロードマップを作成するために私が行ってきた呼びかけを一顧だにせず、党大会を地位をえる競争に変えた。さらに、建国者が偉大な献身でもって建国した国家を崩壊させ、植えられた木々を引き抜き、その代わりに「清廉(ak)」という名の怪物が宮殿で具体化した権威主義的な国家創設の企てや大統領官邸を王朝の宮殿に変えていくのを静観し、国内外における危機に直面し、問題・テロに包まれたこの大変の危機的な状況で無責任に呼びをおこない、[国外出兵特別法成立の際の]矛盾の多い表現や定見のない政策により国民の思いとは切り離された野党と理解しうる立場を今後も続けると考えられ、その危険な選択を私自身が変えられないと理解するに至った。したがって、与党を目指すという目標を持たない、誤ったそして実効性の薄い政策追求者の一部にならないため、大きな希望を抱いて入党したCHPから離党する。」

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( 翻訳者:富田祐子 )
( 記事ID:35871 )