災いをもたらすSNSでの交際(6)
2014年11月06日付 Jam-e Jam紙

慢性化する個人主義

 加えて強調しておかねばならないのは、SNSの過剰な利用が人々相互の直接的な関係を最小限度に縮小させてしまっているということだ。なぜなら、それ以前は個々人の対面での関係がより多かったが、今やこの手段が相互の訪問に取って代わり、人々は仮想世界を利用して互いの近況伺いをすることを好むようになっているからだ。

 重要なのは、こうした方法は我々の生活様式とは異なるということだ。そしてまさにこのことが、人々が害を被る背景を用意してしまっている。なぜなら、社会の人々の多くはこれらのツールの使用には向かっていないので、[仮想空間に没頭する]人々の集団の中に身を置くと、彼らに不快な感情を与えてしまうからだ。こうした理由で、最近では「孤独な群衆」や個人主義が、社会で目につくようになっているのである。

 SNSの過剰な利用がもたらすさまざまな災い、例えば性的虐待や金銭目的での悪用、詐欺、夫婦関係の冷却化、子供の教育に果たしてきた家庭の役割の後退などは、今でも多くの人たちにとって〔明確に〕認識できない問題である。

 それはちょうど数十年前、煙草の害悪を知っている人々が少なく、メーカー各社も煙草の弊害をひた隠しにするために全精力を注ぎ、きらびやかな宣伝や俳優陣の起用で、この製品市場の拡大に努めていたのに似ている。

 もちろん、最近では公共の場での喫煙が禁止され、製品の箱には喫煙〔の害〕について警告するイメージ図が印刷されている。しかし過去数十年間の歯止めのない普及が原因で、いまだに喫煙にしがみつく人たちがいるのだ。

 昨今の家庭が直面する、SNSがもたらした個人主義などの災いは、煙草の害悪と比較することが可能だろう。それゆえ、数年後には公共の場でのSNS利用に対する制限が認められるようになるのも、想像できないことではない。しかしながら、重要なのはフィルタリングをするなどの強制的で早まった対応は、こうしたネットワークに対する〔真の〕対応策ではないということである。むしろ、文化部門に投資を行い、各家庭や青少年の教育のための計画を策定することによって、彼らを災いから遠ざけることが必要なのだ。

 強調しておかねばならないのは、もし国の文化政策の責任者らがこの問題への対応を先延ばしにするならば、将来におけるこの災いへの対処は喫煙管理のように、困難を極めるだろうということである。

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(翻訳者:STKN)
(記事ID:35905)