ハーメネイー最高指導者「制裁解除のために理想を犠牲にしたりはしない」(1)
2015年01月08日付 Jam-e Jam 紙

 イスラーム革命最高指導者のアーヤトッラー・ハーメネイー閣下は昨日朝、熱烈なゴム市民数千人と対面し、革命の真実を歪曲し、1356年デイ月19日(西暦1978年1月9日)〔※1〕や1388年デイ月9日(西暦2009年12月30日)〔※2〕の出来事を忘却させようとする外国人の企てに対抗することが必要だとし、「イラン国民に対する抑圧諸国の敵意が終わりを見せることはない。国の責任者たちは内なる力に依拠することで、制裁という武器を信頼の置けない敵の手から取り上げねばならない〔‥‥〕」と付け加えた。

※訳注1:「デイ月19日」とは、西暦1978年1月9日にゴムで反政府デモが起きた日を指す。このデモの鎮圧の過程で数十名が死亡した。これを機に、死者を悼む40日忌のデモがイラン各地で定期的に行われるようになり、1979年2月革命へと発展していった。

※訳注2:「デイ月9日」とは2009年大統領選後の抗議運動に対抗するために、西暦2009年12月30日に官製デモが行われた日。これを機に、抗議運動が沈静化したことから、「イスラーム共和国体制の勝利」を象徴する日として言及されている。

 最高指導者事務局の広報サイトが伝えたところによると、アーヤトッラー・ハーメネイー閣下は、イスラームの偉大なる預言者(ムハンマド)と〔シーア派第6代〕イマーム・サーデグの生誕日を祝う中で、1356年デイ月19日の蜂起を歴史的で偉大かつ〔その後の革命運動の運命を左右する〕決定的な出来事だったとした上で、「イスラーム革命と過去30年間〔の帰趨〕を決定づけた、偉大なあの日々・出来事を忘却させんとする企みが存在する。しかし国民が生き続ける限り〔‥‥〕、そのような事が起きることはないだろう」と述べた。

 イスラーム革命指導者は、1356年デイ月19日や1357年バフマン月22日(西暦1979年2月11日)〔※79年の革命が勝利を収めた日〕、1388年デイ月9日、その他イラン国民の運命を決定づけたさまざまな局面〔で起きた運動〕について、ジハード的運動であったと評した上で、次のように述べた。

イスラーム体制と敵対する陣営は、革命第2世代や第3世代に対し、イスラーム革命に背を向けるよう、期待をかけている。しかし、デイ月9日の偉大なる出来事を起こしたのは、まさに革命第3世代、つまり国の若者たちだった。革命の道筋を反乱によって逸脱させようと企てた者たちの顔に、断固たる平手打ちを喰らわせたのは、まさに彼らだったのだ。

つづく


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( 翻訳者:fumie )
( 記事ID:36610 )