「私は今、テヘラン大学の学生」~イランで教育を受けてきたあるアフガン人移民の話(2)
2015年09月21日付 Jam-e Jam紙

---イランへは不法入国だったのですか?

はい、私たちには滞在許可がなく、不法移民だったために、多くの困難を経験しました。

---教育面でも?

はい、特に教育面ではそうでした。私は小学校4年の途中まで、自主運営学校に通っていました。こうした学校の一つが私の家の近くにあったのです。3シフト制で、各シフトが3時間でした。つまり、私たちは他の子供たちのように、学校に〔一日〕5時間いるというわけではありませんでした。私たちの生徒数はとても多かったため、こういう風にクラスを分ける必要に迫られていたのです。

---自主運営学校はどんな感じでしたか?

通常の学校と異なっていたのは、夏も学校に行ったことです。というのも、校長先生が1軒の家を1年間借りて家賃を払っていたので、夏の3か月間も休みにならなかったのです。

私たちの学校は、元々4つの部屋と1つの地下室のある1軒の家でした。半年に1度、教室の場所を交換しました。先生たちも、私たちと同じアフガン人でした。つまり、高校を卒業したことのある移民の人だったのです。小学校1年に対しては、中学校を卒業しただけの人が授業を行っていました。

---あなたたちが使っていた教科書は、イランの教育制度で使われているのと同じものだったのですか?

はい、イランの学校で使われているのと同じ教科書でした。私たちはそういったものを使って勉強していました。年の終わりに、先生方が私たちにテストを行い、手書きの成績表を出してくれました。

---こういった状況はいつまでつづいたのですか?

滞在証の取得に成功したときまでです。つまり小学校4年の途中までです。当時、私は母と一緒に登録のために一般の学校を訪れました。私は学習レベルを確定するためのテストを受け、その学年〔=小学校4年〕に合格しました。残りの4年生の学期は一般の学校に通いました。

つづく


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(翻訳者:SKM)
(記事ID:38760)