クルド問題関係書籍3冊、販売禁止に
2016年01月04日付 Radikal 紙


ジャーナリストのハサン・ジェマル氏とトゥーチェ・タタル氏がクルド問題について書いた3冊の書籍について、「暴力を奨励することで、テロ組織を宣伝、犯罪を犯すよう扇動、犯罪や犯罪者を称賛」しているとの理由により、回収との判決が以前に下された。弁護士からこの判決に対し不服が申し立てられた。裁判所は、この三冊について、「配布及び販売を禁止する」判決を下した。

ガーズィアンテプでPKK(クルディスタン労働者党:非合法組織)と関係する愛国革命家青年運動(YDG-H)に向けた捜査で拘留した人物の家で、オジャランの書籍とともにジャーナリストのハサン・ジェマル氏の「デリラーある若い女性ゲリラの山での日々」と「解決プロセスにおけるクルディスタン日誌」とのタイトルの書籍、タタル氏の「おばあちゃん、私は、本当はディヤルバクルにはいなかった」とのタイトルの書籍も見つかった。ガジアンテプ第3簡易刑事裁判所は、家で見つかった出版物とともにこの3冊の書籍について、「暴力を奨励することで、テロ組織を宣伝、犯罪を犯すよう扇動、犯罪や犯罪者を称賛」しているとの理由により回収との判決を下した。ジェマル氏とタタル氏の弁護士は同判決に不服を申し立てた。

■「これらの書籍の読者は暴力行動をとる」

不服申し立てを審理したガジアンテプ第1簡易刑事裁判所の裁判官団は、2015年12月24日付の判決で、「回収という点で」不服(申し立て)の一部を認めた。「回収は、いかなる結果も生む可能性はないとの理由により」、同判決を撤回した。これに対し、「言及した犯罪を書籍内に含んでいるという点で確固たる証拠」であるという理由で、3冊の書籍については「トルコ共和国の領域内で見つかった際及び段階で、配布禁止」と「販売供給の禁止」との判決を下した。判決理由では、全3冊書籍から引用がおこなわれ、以下のような説明がなされた。

「3冊の書籍は、武装テロ組織の賛美、同組織に共感して組織のために、国家の安全、公共の秩序、国民の安全、領土の統一を破壊する内容を含んでおり、これらの書籍の読者が、PKK/KCK(クルディスタン社会連合)組織の活動を正当化して暴力や危険を含んだ活動に入るかもしれず、書籍ではトルコ共和国の国民が互いに犯罪を働くことや、憎悪と敵意に駆り立て、ヘイトスピーチとなりうる言葉や写真、称賛を載せ、武装テロ組織の宣伝活動が行われ….。」

判決では、欧州人権裁判所(AİHM)のわいせつな出版物に関する制限を侵害とみなさないハンディサイド判決(連合王国判決)と最高裁判所第4法廷の判決に依拠したとした。ハサン・ジェマル氏の弁護士であるフィクレト・イルキズ氏は、「判決に満足です。なぜなら今回これらの書籍を読んで判決を下したからです。少なくとも私たちは、[以前の判決に対して]別の裁判所がいかに判決を下すべきかという点で良い例を提示しました。しかし、問題は以下の通りです。私たちの不服は、この意味において制限することを撤廃することでした。問題は解決されていません。表現の自由への侵害が継続しています」と述べた。

タタル氏の弁護士のアスル・カザン・ギルモア氏も「解決プロセスが凍結されるとともに法律も棚上げにされ、クルド問題を語る書籍が禁止されることは、あの暗い日々へ逆戻りすることを示しています。トルコのいずれかの場所での捜査活動において、容疑者宅にあったからといって、各宅一冊見つかった何十冊かの書籍に疑いがよせられ、一斉回収の判決が出されました。不当、違法であるこの判決に不服申し立てをおこないました。しかし、今回書籍の配布及び販売を禁止する判決を下しました。同判決は、絶対に法律及びAİHMと憲法裁判所(AYM)の判例に反しています」と述べた。

以下は、書籍から引用され、証拠として示された抜粋のいくつかである。

■デリラ/一人の若い女性ゲリラの山での日々

27ページ:高校を卒業し、山へ行ったデリラ!クルド語の夢を見た。私たちの夢はクルド語だった。家で私たちはクルド語を話していた。しかし、クルド語は否定され続けていた。デリラのおばの息子として説明を始めます: 名前は、シェルゴ・フィダン。1979年に生まれ、小売業をしている。

51ページ:のちに娘を山へ連れて行った。アポ(オジャラン)に引き渡した。9年間山に滞在した、デリラ。いとこも(ゲリラとして)亡くなった。

68ページ:ハヴァル・ゼキイェは、私の思想は社会主義とコミューンの生活であるが、それにはすぐに到達しないであろうと語った。

(略)

■解決プロセスにおけるクルディスタンの日々

26ページ:ハサン・ジェマル氏が1993年、アブドゥッラー・オジャランと一緒に写った写真。

49,67, 160, 173,174, 176, 179, 184ページ:ムラト・カラユラン、ジェミル・バユク。サブリ・オケ、ロナヒ・セルハト、ソズダル・アヴェスタ、フェフマン・フセインとハサン・ジェマル氏が一緒に写った写真。

98ページ:戦闘機が2011年12月28日夜、この母親たちの罪なき子どもたち34人の命を突如粉砕した。

(略)

■おばあちゃん、私は、本当はディヤルバクルにはいなかった

13ページ:なぜ、書いたのか?クルド人は多くの苦しみを味わされ、不当に扱われており、権利を与えなければならなかった。国が不当に扱い、悲しみを与え、無視する民のひとつだった。PKKが何のために戦争をしているのか、イデオロギー、達成したいことについて、深く考えたことはない。「テロ組織なのか、さもなくば、革命闘争を行う組織なのか」と自問自答することもなかった。テロ組織として学んだ。テロ組織とテロリスト….。

26ページ:私が出席した初めてのネウルース(新年祭)。クルド人の歓喜やハライ(フォークダンス)を見て自分を抑えきれなくなった。あの日に見た興奮した群衆に影響をうけた。幾らか感嘆して見ている、この一体感を。おそらく、クルド人について気に入った特徴は以下の通り。共に闘い、共に暮らし、共に権利を求め、言葉をひとつにし、一体となりうる状態….。

(以下略)

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( 翻訳者:岸田圭司 )
( 記事ID:39556 )