アンザリー湿原の再生に尽力する日本(2)
2016年04月13日付 Iran 紙

 目に見える限り、広大な土地には水もなく、鳥もいなかった。ここがアンザリー湿原なのだと、人々は言う。〔‥‥〕しかし、この湿原から水が干上がって、すでに7〜8年になる。多くの人が原因を探そうとし、様々な意見が出ている。一部の専門家らは、無秩序な放牧や開発業者ないし一般市民による森林破壊、そして草原の破壊などが原因で起きた上流の水源地域の土地の浸食があまりに激しく、〔湿原への〕土壌の流出が加速しており、今や湿原は堆積物で一杯になっていると指摘する。そしてこのことが、湿原の南部が徐々に干上がっていった原因なのだというのである。〔‥‥〕

 こうした中、河川を通って湿原に流れ込んでいる大量の汚水やゴミに、非難の矛先が向けられるようになっている。

 原因がどうであれ、アンザリー湿原は悲惨な状況に直面していることに変わりはない。サルケ野生生物保護区だけでなく、他の保護区も良好な状況にはない。例えば、夏にチューリップが咲き乱れる「サルハーンコル野生生物保護区」の一部でも、〔湿地帯の水が干上がってしまっているため〕ボートを動かすことが難しくなっている。沈殿物やゴミの量が実に多く、信じられないほどだ。〔‥‥〕

 こうした状況にもかかわらず、アンザリー国際湿原は世界的な名声を博している。そのため、湿原が徐々に消失しつつあることへの〔国内の〕無関心にもかかわらず、日本の国際協力機関JICA——JICAは自身の予算を使って、第三世界の多くの国々に自らの経験を伝えることを目的とした組織である——は、2003年以降この地域に関心を示してきた。そしてこうした活動の成果が、2003年から2005年の間に行われた湿原総合計画調査〔※正式名は「イラン国アンザリ湿原生態系保全総合管理計画調査」〕に結実したのである。

 ところが、2007年にプロジェクトのフェーズ1が始まった直後、イランでのJICAの活動は突如中断してしまう。イランに外国人がいることに我慢のならなかった当時の政権が、アレルギー反応を示してしまったためだ。その後2011年から2012年にかけて、このプロジェクトは再開されたが、再度中断に見舞われ、結局第11期政権〔ロウハーニー政権〕の成立とともに、ギーラーンに日本人専門家チームが派遣される形で、プロジェクトのフェーズ2が再開されたのであった。

つづく


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( 翻訳者:MZTN )
( 記事ID:40424 )