ギュレン派はいかに軍にはいりこんだのか?
2016年07月17日付 Cumhuriyet 紙

アンカラ県共和国首席検事局によって用意されたギュレンとギュレン教団の告訴状には、教団のトルコ国軍への浸透は、1984年に加速し、公正発展党(AKP)政権期に完全に容易になったという。

教団がトルコ軍でクーデターの企てを行うほど組織化し、この状態にどのように至ったのかという質問の原因になる一方、人々の目はこの事件の政治的責任に向けられている。この質問の答えは、クーデターの少し前にアンカラ県共和国検察が裁判所に提出した660ページにおよぶ、主要教団の告訴状に書かれている。
告訴状によると、フェトフッラー・ギュレンと教団は、1971年からトルコ軍内部での組織化に努めた。教団の中で活動していた信徒のイマームの仲介によって、教団の集会場や学校、寮で、軍の高校と軍人の学校に送り込む学生を準備していた教団が、この活動を1984年以降本格化させた。告訴状において、「その時期にトルコ軍内部に送り込まれたこの学生たちの多くが、現在、将官や士官である」と書かれている。
告訴状には参謀本部が提出した資料も含まれており、1983年から2014年の間にトルコ軍と関係を切られたフェトフッラー・ギュレン教団の信徒である軍人の数は400人と書かれている。公正発展党が政権に就いてからはというと、唯一、2003年に2人の下士官がギュレン教団の信徒という理由で免職とされた。告訴状にはこれに関して、「トルコ軍は、2003年以降ギュレン教団の信徒である軍人を一人も免職にしなかった。この後、イニシアチブは、組織に移り、軍内部でこの組織に属さないもの、あるいは、反対するものはすべて粛清され始めた」と書かれている。その当時高等軍事評議会(YAŞ)のトップに就いたタイイプ・エルドアンによって防衛大臣らは、「反動的」という理由で免職にされた。その少し後にYAŞにおける免職の適用は終わった。

■陰謀罪

トルコ軍で多数存在し、年々増加している教団の信徒は、権力を得るために、今回エルゲネコン事件、バルヨズ事件、2月28日事件、軍の盗聴事件のような「陰謀罪」捜査でアタテュルク主義者の粛清を行った。たった72人の将官を含む400人の軍人がエルゲネコン事件とバルヨズ事件で裁判にかけられた。この粛清 と共に軍内部で教団は権力を得ていった。

Tweet
シェア


この記事の原文はこちら
原文をPDFファイルで見る
原文をMHTファイルで見る

 同じジャンルの記事を見る


( 翻訳者:新井 慧 )
( 記事ID:40901 )