Fikret Bilaコラム:モースル問題におけるトルコの立ち位置
2016年10月18日付 Hurriyet紙

 イラクのほか、モースルに関与せねばならない国があるとすれば、それはトルコだ。歴史的・法的に見てもそうである。

 このことが知られているからこそ、米国は、トルコに対するイラク政府の抗議をあおっているのだ。英国、フランス、イランも同じことをしている。

 米国・英国の懸念は歴史的なものだ。いったんトルコ軍がモースルに入れば、そこに居座るのではないかと懸念しているのである。これもかつてと同様に、モースル・キルクークから産出される石油の共有計画に由来している。

■石油問題

 まず、石油の問題から始めよう。

 モースルの石油といえば、この石油に対して本質的に賠償権があるのは、法的にはトルコだ。1934年から1952年まで、トルコへは賠償金が支払われていた。ただし賠償額については合意されておらず、1951年からは未払いとなっていた。1955年には予算から削除されたものの、3年後に再び予算に組み込まれ、1987年にトゥルグト・オザル首相がこの項目を削除するまではずっと予算のうちに含まれていた。賠償金の額についてはいまだに議論が続いている。

 もちろん、トルコは賠償金のためにモースルへ関心を向けているのではない。しかし、関連性についていえば、トルコはほかの国にはない関連性があるといえるだろう。

■政治的側面

 政治的な側面に目を向けてみよう。

 モースルは、国民誓約で示された国境線の内側にある。ムスタファ・ケマル・アタテュルクが国民誓約の国境線を示した際も、イスケンデルンの南に始まり、デリゾール北部、モースル、キルクーク、スライマニーヤ、アルビールを含む地図を描いていた。

 ハリチ会議からローザンヌ条約へ続き、アンカラ条約に至る一連の流れにおいて、英国が計画したクルド人の反乱によって、モースルが失われたということも、よく知られた歴史的事実である。

 国民誓約という面も、西欧の帝国主義諸国が懸念しているところである。

■住民に対する関心

 モースルおよびキルクークに住むテュルクメン人が経験した受難も、最近の歴史的事実である。テュルクメン人の財産、生命の安全を、トルコが無視することなど考えられない。

 事実、2003年に米国がイラクに侵攻する以前も、侵攻後も、テュルクメン人の安全確保はトルコの「レッドライン」と宣言されていた。

■テロ対策

 トルコが北イラクに軍を駐留させる真の理由はPKK(クルディスタン労働者党;非合法)への対策である。イラク政府もバルザーニの自治政府も、長年にわたって北イラクからトルコを攻撃しているPKKを制圧しきっていない。反対に、北イラクに影響力をもつアメリカは、PKK・民主統一党(PYD)・クルド人民防衛隊(YPG)勢力に対して軍事的・政治的な支援を明確に行っている。これらのクルド勢力が、北イラク、シリア北部、トルコ南東部にまたがるクルド政府を実現しようと企んでいることは明らかだ。

■移民問題

 1987年にサッダーム[・フセイン]がクルド人を攻撃したとき、クルド人移民を受け入れたのはトルコだった。その後の難民についてもトルコは受け入れており、シリア内戦で発生した難民受け入れの重荷はトルコに任せられている。

 モースル作戦が引き金となって押し寄せるであろう移民も、再びトルコが受け入れることになる。この移民をイラク領内で迎え入れることは、難民受け入れの限界をとうの昔に迎えているトルコにとって、当然の権利であろう。

 PKK[の問題]をはじめ、これらすべての要因を視野に入れれば、トルコが自らの安全保障のために軍を北イラクに駐留させることは不可思議な事態ではない。

■トルコ軍の存在と集結

 それでは、現状を見てみよう。

 モースル作戦は、米国、フランス、イギリスから支援を受けたイラク軍によって開始された。

 トルコ軍がバシカで養成した「モースルのニネヴェ防衛隊」も作戦に参加した。これは、トルコが反対する項目についてイラク政府が配慮したためとみられている。シーア派民兵はモースルへ向かわなかった。トルコの懸念は、今のところは考慮されていると考えられている。トルコも注意深くふるまっており、トルコ軍もまだモースルへ向かっていない。

 しかし、トルコ軍は国境付近で集結した。それは、モースルからくる可能性がある移民の波をイラク領内で迎えるためだ。もし大勢の移民が押し寄せた場合、トルコ軍はイラク領内に入り、そこで移民を迎える可能性がある。

 モースルは包囲されたが、西側には抜け道が残された。イスラム国(IS)がこの西側の回廊をとおってモースルを放棄することが見込まれている。ISは、この回廊から ラッカおよびアル・バーブへ向かうだろうと計算されている。この調子でいけば、モースルの後はラッカ作戦も開始する可能性がある。

 トルコ軍の支援を受けダービクを制圧した自由シリア軍が、ラッカへ下るか否かも、また重要な問題だ。

 しかしながら、モースルおよびラッカでの作戦、その後の話し合いが、PKK・PYD・YPGを招きトルコを抜きに進められるのであれば、それは健全で堅実な結果を生むものにはならないであろう。

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(翻訳者:今城尚彦)
(記事ID:41443)