Taha Akyolコラム:憲法をつくる
2016年10月25日付 Hurriyet 紙

大統領制についての議論はもっとも民族主義者行動党(MHP)で問題となっている。MHPはメラル・アクシェネルを解任し、続いてウミト・オズダーも解任を求められた。

MHP党首バフチェリの「粛清期間に入った」という言葉を思い起こせば、続いて第3の解任もあり得るだろう。メラル・アクシェネルはかねてより大統領制には反対である。先日もオズダーともにMHP議員のユスフ・ハラチオール、ヌリ・オクタンとイスマイル・オクは大統領制に反対であると発表した。

彼らも解任されてしまうのだろうか。

しかし、この問題は、ひとつの政党の問題以上の問題である。我々はトルコの憲法について議論しているのだ。

■バフチェリ次第だ

バフチェリとMHP議員たちの表明からわかる彼らの意図は、公正発展党(AKP)の発案に少し手を加えて国会を通過させることだが、国民投票では“議会制に賛成”といい、“反対”運動を進めることである。

どのMHP党員と対談しても、大統領制に賛成ものは誰も見なかった。MHPの党本部でも大統領制を擁護する議員は今までに誰一人として出てこなかった。

しかしながら、AKPの大統領制案が国会で通過するために必要な15-20の「承認」票を、バフチェリは彼が望むときに簡単に確保するだろう。

このように国会を通過した案件は国民投票でも承認される。

私はいったいどこからを知っているのか。

ひとつに“推測”、ふたつには政権の“プロパガンダ”力を見ながら私は推測をしているのだ。

問題は、“賛成”票が出てきたときにトルコの制度をめぐる緊張が終わるか終わらないかである。

忘れないでおこう、推測とプロパガンダが上手に整えられていた1982年憲法は91%という数字でもって承認されたのだ。

■首相は正しいことを言っている

実際には、持続してよく機能する憲法が“推測”ではなく、持続的な原則に基づくこと、そして“プロパガンダ”よりもむしろ交渉と参加の方法でもって準備をされ、広く多くの人々によって受け入れられることが必要である。

世界の経験を分析したすべての科学的分析の要点がこれである。

ユルドゥルム首相の以下の言葉はこの点で適切である

「社会の100%でなかったとしても、大部分を、大多数を含んでいることが必要であり、彼らが受け入れられるようなテキストでなくてはならない。これが我々ただ一人ではなし得ないことは明らかである。このために我々は全政党と協力する必要がある。」(7月25日)

そう、「大多数」つまり「圧倒的多数」によってではなく、不十分な過半数から承認された憲法というのは長続きしない。

さて、フランスに半大統領制を導入した1958年のド・ゴール憲法は大きな成功を収めた。なぜならば、フランス国内で79%、国外票も加えたら83%の賛成票でもって承認されたからである。

■どのように準備されたか

憲法がどのように準備されたかの問題は、どのように承認されたかの問題と同様に重要である。

ド・ゴール憲法は、フランスの最も権威ある法律家のうち、ミシェル・ドブレをリーダーとし、共産党を除くすべての政党の法律家との話し合いによって準備されたのだった。

ミッテランとメンデス・フランスのような中道左派の政治家たちは、ド・ゴールが独裁者となることを言ったとしても、彼らの支持基盤は国民投票において高確率で賛成の意を示した。

20%にとどまった反対票の少なくとも半分は共産主義者によるものであった。

今日、フランスで憲法は問題ではない。問題が発生すれば話し合いで解決する。2008年に憲法改正をして裁判官・検察官高等委員会の政治家たちを完全に排除した。

トルコでは政治の分極化の表れとしてシステムの問題が前面に出てくる。しかし、システムと同様に重要なのは、憲法がどのようにして作られるかである。参加型のものとして作られた、広く大衆的に受け入れられた憲法やシステムこそ、うまく機能する。

しかし、技術レベルで機能しない、準備段階で十分な参加のない、推測に頼って書かれ、不十分な過半数によって承認された憲法は新たな緊張への道を開いてしまう。

首相様とバフチェリ様、ご注意くださいませ。

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( 翻訳者:榊原万莉子 )
( 記事ID:41554 )