故郷はここだけ―急激に変わりゆくエスファハーン・ジョルファ地区のアルメニア人街(5)
2016年12月22日付 Iran 紙

 タヴァンさんも自身の父親や祖父と同様、ジョルファ地区で生まれた人で、この地区の過去についての知識は豊富だ。彼にとっても、この地区は以前とは様変わりしており、ここを行き来するのも、もはやアルメニア人ではなくなっているという。

 タヴァンさんもその他の古くからの地元民と同様、多くのアルメニア人が国外に移住していったと指摘するが、それでも自分は出ていくつもりはないという。

私の2人の兄弟もイランを出て、アメリカで暮らしている。うちの家内も3ヵ月ほど、家族に会いに〔アメリカに?〕行ったが、帰ってきた。うちの子どもたちもイランにいて、仕事をしている。イランを出て行ったきり戻ってこない人たちの多くは、家族の誰かが国外に行って、〔その後〕残りの家族を呼び寄せて、〔国外に〕連れて行ってしまったっていうパターンだ。でもね、私は出ていくつもりはないよ。我が故郷はここだけだからね。

 ジョルファ地区で興味深い場所の一つに、旧アルメニアン・クラブがある。かつてアルメニア人たちが結婚式や自分たちの宗教的な式典を開いた場所だ。「強要された戦争」〔=イラン・イラク戦争〕後、イラン南部の戦争被害者たちの保護施設になったこともある。

 この場所の広報責任者であるペドラーム・ネクーイー氏は私たちに、ここの沿革・歴史について話してくれた。それによると、ここは600年以上の歴史を誇る場所で、これまでに多くの変遷を経験してきたという。個人の邸宅だった時代もあれば、病院やキリスト教学の教育を行う場所だったこともあるという。しかし現在、〔‥‥〕ここはレストラン・カフェへと姿を変えている。

 エスファハーンの中心地にあってさまざまな姿をもつ美しきジョルファは、時代の変遷とともに自らの身体に多くの変化と老化を蓄積させていったが、しかし今なお、そのキリスト教的雰囲気を残している。ジョルファ広場の周辺にある狭い路地に足を運んでみた。自家用車がジョルファ広場に通じる一部の路地をふさぎ、〔そこから流れる〕騒々しいアップテンポの音楽の音が、地区の歴史的静寂を乱していた。このアップテンポのリズムこそ、もしかしたらこの歴史ある地区が経験している変化の速さを象徴していると言えるのかもしれない。それは、教会から流れるオルガンの心安らぐ音色とは、似ても似つかないものだった。

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( 翻訳者:AOI )
( 記事ID:41993 )