「笞と絶叫」の博物館へようこそ―パフラヴィー体制時代に囚われの身となった政治犯たち(3)
2017年02月09日付 Iran紙


 私は、この狭く薄暗い廊下を歩いてここで起きたことを再び思い出すのはつらくはないですか、と尋ねてみた。すると彼は首を横に振り、次のように言うのであった。

私たちには全員、感情というものがあります。私たちは人間です。つらいことは誰にとってもつらいものです。でもね、かつて科学者たちをバングラデシュからすらも連れてこなくてはならなかった我らがイランが、最近ではめざましい進歩を見せ、ナノテクノロジーやら核技術やらを身につけるまでになったということが、私にはうれしいのです。こうしたことがあれば、つらいことも耐えられるのです。

 彼の横にはジャヴァード・アフマドが立っていた。アズィーズィヤーンは訪問者全員の方に顔を向け、「この方〔=ジャヴァード・アフマド〕の父君も、ここに投獄されていました。そしてひどい拷問を受けたのです。なんぴともこうした自己犠牲を忘れてはなりません」と訴えた。

 牢獄のさまざまな箇所に入るためには、緑色をした金属製の障害物を通り抜けねばならない。言われているところによれば、囚人たちは目隠しをされた状態で牢獄内を移動していたために、移動のたびに何度もこの障害物にぶつかり、ときには転倒してしまうこともあったという。〔‥‥〕

 自身、当時の政治囚の一人であったというガイドは言う。「スープやアーブグーシュトを食べるときも、スプーンはくれませんでした。私たちはこういう具合に、一気飲みをせざるを得なかったのです」。

 博物館を訪問していたある若い女性が、建物内の室温の寒さについて、「政治囚たちが投獄されていたときも、この建物はこんなに寒かったのですか」と質問すると、ガイドは次のように答えた。

今は暑いくらいですよ。あなた方のためにヒーターを数台設置しているんですから。この建物はね、冬寒く、夏暑くなるように建てられているんです!そんな中で、私たちはシャツ一枚でいたんです。ヤツらはね、私たちのことを「死ね」って思ってたんですよ。そうであれば、私たちが寒かろうと暑かろうと、彼らにとってどんな意味があるっていうんでしょうか。

 中庭に出たが、ガイドが言う通り、まだ拷問部屋には着いていないようだ。しかしそれでも、ここには拷問の痕跡を見て取ることができる。〔‥‥〕中庭にある鉄格子にはシンボリックなオブジェとして、数体の人形が結わえ付けられている。〔‥‥〕「彼らは中庭全体を、囚人たちの拷問に使用していました。中庭に見えるあの水溜も、囚人の頭を水の中に押しつけて窒息させるのに使っていたのです」。

〔‥‥〕

つづく


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(翻訳者:RN)
(記事ID:42237)