「クーレバル」——生活のために肩を歪めざるを得ない者たち(1)
2017年02月07日付 Mardomsalari 紙


【マルドムサーラーリー紙7面:マルジャーン・ハージーハサニー】

 「クーレバルたちが雪の中に埋もれたまま、異郷の地で命を落としたんですって‥‥」

 私がこう言うと、彼(彼女)は言うのであった。「クーレバルって、なに?」

 「私が言っているのは、サルダシュトのクーレバルたちのことよ‥‥」

 こう言っても、彼(彼女)の返事はこうだ。「サルダシュトって、どこ?」

 私が耳にしたなかで最も不思議なニュース、それは4人のクルド人の「クーレバル」がサルダシュトで起きた雪崩で非業の死を遂げた、というものだった。〔‥‥〕

 私がサルダシュトを初めて訪れた時、この国境の町が抱える苦しみは一つだけだと思っていた。それは、化学兵器による爆撃によって残された苦しみである。この苦しみは66年(西暦1987/88年)から今日に至るまで続いている。そしてそれは、サルダシュトの人々が経験している容赦のない水ぶくれや咳として現れている。

 しかし、これはサルダシュトの人々が味わっている、尽きることのない苦しみの最後のもの、というわけではない。私が小さなサルダシュトの町を訪れて住民たちの厄介になったとき、この質素な身なりの純朴な人々がどれほど苦しんでいるのか、私はまさに身をもって知ったものだ。

 私が初めてサルダシュトを訪れたのは夏だった。実のところ、行く前は非常に不安だった。化学兵器による爆撃の被害者たちの悲惨な水ぶくれや咳を直視することに耐えられないのではないかと、私は恐れていたからだ。しかしこれらの人々は非常に明るく、また私たちの友情はとても深いものになっていった。そのためか、彼らの痛みは私の痛みとなり、私は彼らの水ぶくれも全身で理解するようになったのであった。

〔‥‥〕

つづく


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( 翻訳者:TCH )
( 記事ID:42332 )