イラク・クルド自治区住民投票の成り行き(1)
2017年09月27日付 Jam-e Jam 紙


 アルビールにあるクルド自治政府が、昨日クルド自治区で住民投票が行われたことで発表したのは76%の有権者が参加したという結果だけだ。またその最終結果を48時間以内、つまり木曜日に発表すると約束した。

 本紙によれば、マスウード・バールザーニー氏[訳注:クルド自治区の代表]が、この住民投票を実施したことで、自治政府とイラク中央政府、そしてクルド自治区周辺地域の関係を複雑な状況に置くことになったのは明らかだ。

【自治区の住民投票の成り行き】

1. クルド自治区独立に向けた動きを民族アイデンティティに依拠することは、根本的な間違いであり、将来的にクルド自治区周辺を巻き込み、この地域がトルクメン人やアラブ人といったクルド人以外の少数派の分離主義に直面することもあり得る。
2. 加えて、クルド自治区の近隣県、とりわけキルクークへの拡張主義、つまりキルクークとの係争地域での住民投票の実施は三つ目の誤りである。これは明らかにイラク中央政府の対抗措置を招くものであり、将来的な流血事態の温床となり得る。
3. 第三に、クルド自治区住民投票における国内への影響は、キルクークにおける民族紛争を引き起こすことである。

 この地域の住民は、時代の移り変わりとともに様々な民族の利益により変化したり、させられたりしてきている。

 この地域の史実を辿れば、オスマン朝時代からトルクメン人の人口が圧倒的となり、彼らの地域支配権はキルクークに及んでいた。
19世紀からのキルクークでの原油採掘により、多数のアラブ人、クルド人の移住者がこの地に流入し、徐々にクルド人の人口が増加していった。1957年(60年前)の公式国勢調査によると、キルクークの成人人口は12万人におよび、そのうちトルクメン人が4万5千人(40%)と多数を占め、クルド人が4万人(35%)、アラブ人が2万7千人(25%)、アッシリア人が150人、そしてユダヤ人が100人と少数派を形成していた。

 しかしこの半世紀の間に、キルクークは二つの相反する人口政策に直面している。一つはサッダーム・フセイン政権下でのアラブ化政策であり、クルド人はこの地域から強制移住され、代わりにアラブ人が集団移住してきた。その後、2003年よりバールザーニー家による拡張主義政策により、シーア派アラブ人が追放され、クルド人がこの地域に集団移住した。

 現在行われている政策によって、キルクークにおけるクルド人の人口は2003年から2010年の間で、15万人から35万人にまで増加し、クルド人は同市の過半数を占めることとなった。

 それにもかかわらず、キルクークはかつてと同じように複数の民族が集まり、イラク中央政府の支配下にある都市であり、ここ十数年における人口構成の変化は、クルド自治区が原油を埋蔵するこの地域を支配することへの正当性にはなり得ない。またクルド自治政府は、独立するにせよ自治状態を続けるにせよ、キルクークへ向けた拡張主義をイラク中央政府が絶対に容認しないであろうことを肝に銘じるべきであり、自治政府がキルクークの領土要求を続ける限り、中央政府による軍事介入は確定的である。

4. クルド自治区は、イラク憲法、そして国際法規約に違反したこの住民投票を挙行したことでイラク中央政府の面目を潰し、またトルコ、イラン、シリアといった近隣諸国の不興を買った。

 言い換えるならば、[イラクの]クルド自治区はトルコ、イラン、シリアといった周辺国家、そしてイラク中央政府からの明確な警告を無視して住民投票を実施したことで、自ら政治経済的にまた安全保障上、閉塞状態に陥った。当然、この措置は、イラク・クルド自治区を完全に孤立させ、バールザーニー家の独立構想を壊滅的なものにするだろう。
つづく


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( 翻訳者:NF )
( 記事ID:43700 )