シムゲ・プナルがファースト・アルバムをリリースー「この曲たちは都会に生きる少女たちの反抗なんです」
2019年04月28日付 Milliyet紙


ファースト・アルバム『ギュゼル・シェイレル』をリリースしたオルタナティブ・ミュージックシーンで注目を集めているシンガーのシムゲ・プナルは、「私の楽曲は都会に暮らす女の子が叫び声をあげずにおこなう反逆といえます。」と自己分析する。

 シムゲ・プナルは、昨年リリースしたファースト・シングル「私たちはみな同じ」、「シャングリア」の後4月12日にファースト・アルバム『ギュゼル・シェイレル(素晴らしいこと)』をリスナーの元に届けた。ラクン・ミュージックからリリースされたアルバムのプロデュースはハルン・テキン氏(人気ロック・バンド、モル・ヴェ・オテスィのリーダー)が手掛けた。本作を聴いていると穏やかながらも、彼女の中に流れている反抗の意思を感じ取る事ができる。27歳のこの若手シンガーが、ポシェットの中に書き溜めていった楽曲は「自らを表現することや自分探し、そして更なる高みへと進むための方法」だと説明する。本紙はオルタナティブ・ミュージックシーンで注目を集めている彼女にレロ・ソサエティでインタビューを敢行した。

-つい先日、あなたのファーストアルバム『ギュゼル・シェイレル』がリスナーに届けられました。あなたは「これは私の最高の夢でした」と以前おっしゃいましたね。最高の夢が実現したことはどんな気分でしたか?

最高の気分です。人は幾つもの夢のために生きるのであり、願っていた何かが実現するという事は素晴らしいことです。まだ時々、信じることが出来ません。まだ実感がわかないほどなんです。私たちはアルバム制作にとても長い時間取り組みましたから、ハッピーだしワクワクしてます。

-ハルン・テキン氏とギュムシュリュク・アカデミーで交錯したあなたたちの道は、その日の後も別れることがなかったようですね。ことの次第と、あなたの音楽におけるハルン・テキン氏の影響をお伺いできますでしょうか?

私の子供時代、青春時代の初めはトルコ・ロックが光り輝いていて信じられない程ポピュラーだった時代と重なります。私も多くの若者たちと同じようにモル・ヴェ・オテスィを聴きながら育ちました。ハルン・テキンから作曲の方法で非常に影響を受けたといえるでしょう。今から5年前にギュムシュリュク・アカデミーで開かれるハルン・テキン氏の「作曲アトリエ」に出会ったとき、すぐに参加したいと思いました。
私はそのころ大学時代の最終学年で作曲もしていましたが親友以外に、誰にも曲を聴かせたことはありませんでした。自分のために何かをしたいと思い「作曲アトリエ」に参加したんです。ハルンと出会った事はこの上なく幸せなことです。アトリエが終わりに差し掛かると私の「シャングリア」という曲を聴かせましたが、有難いことに彼はとても気に入ってくれたんです。その後で彼は私がどんなことをしているのか質問をしてきました、そして私が思うに君は音楽をするべきだと言ったんです。私の人生は全く違う方向へと進みだしました。どうやったらこれを実現できるんだろうかとはあまり考えられませんでした。その日以来、新曲を作曲することでも、アルバムを埋めるために楽曲を作曲する時にも私の心は沸き踊るようだったんです。最後の三年間、私はとにかく集中的にアルバムづくりに取り組みました。このプロセスのあらゆるポイントでハルンはとても協力してくれました。本当に彼と出会えてよかったです。

■「一番好きな詩人はギュルテン・アクンです。」

-勇敢にふるまう事はあなたの人生のブレークポイントとなったようですね。普段、あなたは勇敢な人なのでしょうか?もしくは、あなたのように他の夢がある人達に対してはどのようなアドバイスをしますか?

もともと私はとても勇敢な人間なのですが、このことには最近気が付きました。居心地がいい場所から抜け出すことができなかった時期があり、その時期は私が一体なのどれほどに勇敢であるのかという事を忘れさせてしまいました。クリエイティビティが求められる問題に勇敢さがなければ取り組むことはできません。なのでギュムシュリュク・アカデミーの最後の日まで、私は自分の曲を聴かせるべきかどうなのか?とずっと悩んでました。最終的には私の曲を聴かせることを決心したのですが、その勇気は正解でした。それ以降、アルバムへと続くプロセスがスタートしました。

-あなたのアルバムで最も目を引く曲の一つはギュルテン・アクンの「黒い髪を切る」という詩を取り上げていますね。なぜギュルテン・アクンで、なぜこの詩を選んだのでしょうか?

ギュルテン・アクンはこの詩を書いている時、頻繁に読んでいた詩人でしたし、一番大好きな歌手です。「黒い髪を切る」を読んだ時に、その詩のメロディ、そこに流れる音楽に私は魅了されすぐに曲が出来ました。まるで詩が自分に曲をつけてほしいと言ってくるようだったんです。この曲をコンサートで女性たちと共に歌うことが大好きなんです。パワーがみなぎるのを感じます。

-アルバムの他の曲はすべてあなたが手掛けましたね。ハルン・テキンはあなたについて「私が知る最も特別なシンガーソングライターのひとりです」と言っていますね。あなたは作曲をすることをどう説明しますか?

ハルン・テキンと彼の世代の沢山のミュージシャンが私にインスピレーションをくれました。ハルン・テキンはある意味でわたしのメンターです。なので彼からこのようなコメントを聞くことは私を誇らしい気分にさせます。曲を書くことは私に必要なことです。

■「いくつもの障壁は私にクリエィテビティの火を燃やしつけます」

-コチ大学の工学部のご出身ですね。一時期ある企業の工場に勤めていましたね。この環境はあなたのクリエィテビティの糧となったのでしょうか、もしくは妨げになったのでしょうか?

その時、確実に私のあらゆる能力を、曲を書きたいという私の欲望の全てを、すべてのインスピレーションを手に入れたと思いました。しかしながら、数年後振り返ってみるとその時期、私は沢山の曲を生み出したことに、家に帰ってあの私の中に溜め込んでいた感情を沢山の曲で代弁していたという事にきがつきました。私にしてみればいくつもの困難や、障壁の数々も私のクリエイティビティの燃料なんです。

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(翻訳者:堀谷加佳留)
(記事ID:46736)