spotify:トルコ音楽:このプレイリストでは何が起こっているのか?
2019年05月02日付 Hurriyet紙


先日、ツイッター上で私はシンプルな疑問を投げかけてみた。
一体、一人のアーティストがスポーテファイのプレイリストにリリースされたばかりのアルバムから5曲、合計で6曲もどうして入り込むことができるのか?実際に、問題があるのではないのか?それを私は確かめてみたかったのだ。



これは、私が「トルコ・ロック」のプレイリストで出くわした初めての事態だった。
嘘ではない、私は自分のプレイリスト以外には、それほど他のプレイリストに目を通すことはないからだ。
私はプロの音楽評論家なので自分の人生で選んできたものや、誰かがプッシュしてくれたものを聴くのが好きだ。しかしそのプレイリストでは全50曲中に同じグループの最新アルバムから5曲、旧作から1曲の全6曲が含まれていたのだ。勿論、これは私にとって別に、不快な気持ちになるようなことではない。
そのニューアルバムは私も好きなグループのアルバムで、実際既に聴いていた作品だった。

そして更に興味が沸いてきて、私は他のプレイリストにも目を通してみた。「トルコ語ヒップ・ホップ」、「トルコ・ポップ」といったプレイリストでも、その状況は同じだった。最近の人気アーティストたちはそろいもそろって、4、5曲ずつプレイリストに含まれていたのである。
他のプレイリストの状況はどうでもいい、私がここで強調したいのは他のことだ。

このようなプレイリストに入るということは視聴率に大きな影響がある。
平均して各プレイリストのフォロワーの数は5万程度ある。全部で5万人がフォローするリストに入るということは、つまりは(リスナーに)クリックされて、著作権料の支払いが発生する、ということだ。
勿論ここでの著作権料の支払いは僅かであり、それはまた別の問題だ。
この仕事における規制によれば同じアルバムからは3曲しかリストには入れないという制限がある。

「システムのアルゴリズムが自動的に楽曲を推薦している、私に対して推薦したリストがこれなのだから、
他の人に対してはまた別のリストが存在している、私はこれをよく聴いているという理由から、こうなっているのだ」と思ったが、それは違っていた・・・
他の人でもプレイリストの中身は同じであったのだ。つまりこれはエディターが手掛けたリストである、ということなのだ。もしもこれがアルゴリズムに基づいたものであるとうれば、それは聴く人ごとに違ったリストが作成されなければならない。
私はSpotifyに質問を投げかけてみた、一人の新聞記者として、また一人の市民として。
「これは一体、どういうことなのでしょうか?一体あなたはどんな統計を行っているのですか?」と私は問いかけてみた。恐らく、視聴率ごとに楽曲の数が増える理由には、プレイリストをポピュラーなものにして、より多くの会員を獲得しようという魂胆があるのだ。全く、ありえることではないか。
私が答えは以下のようであった。
「このような種の問題についてSpotifyは組織的な原則としてお伝え出来ることはございません」
私のことはさておいていたとしても、レコード会社に対しても彼らは返答をしないのだ。
それも1人、2人からだけではない、これは幾つものレコード会社から聞いた話である。
もう私はこの事態に慣れっこになっている、SpotifyもApple Musicも、その週にリリースした新しい音楽を素直にどのプラットフォームにも、あなたの目の前に差し出すことはないのである。何人かのマーケティングの担当者に嘆願書が提出されている。なるようになればいい、私は自分の手で曲を探そうではないか。
40万人以上が登録する各プレイリストにおいて、僅かな数の人間にしかチャンスを与えないというのは全く嘆かわしい事態だ。
ここでレコード会社やアーティストが疑いをもつようなことはあってはならないことだ。彼はもうそれ以上、情報を与えない。全くインチキではないか。
ちょうどこの問題を大きな声で考えている際に、最新アルバムをレーベルから独立してリリースしているグループReddがソーシャル・メディアのアカウントでシェアした、同じ問題に関しての文書を目にした。
その文面において私が最も賛同できた点は、「トルコで製作された音楽はたった一人のエディターで手掛けることができないほどの量と多様性があると私たちは考えています。」と述べていたことだ。
誰にも返答をしないSpotifyが、Reddに対しては返答を与えたのである。しかもそれだけではなく、「トルコにはエディターが一人いるのだ」と言ったということだ。

これもまた7000万人の人口の国にとっては、勿論のこと、全く十分ではない。
はっきりとしているのはある問題があるということだ。いくつかの音楽会社に対して「あなたからは3曲だけ、拝借できますでしょうか?」と告げる一方で、幾組のアーティストのアルバムからは全曲がプレイリストに追加される。これは私にとって恐ろしい事態だ。
今後、返信をもらえないので、知ることはできないだろうが、勝手にすればいい・・・

■勝者がはっきりしている、もしくは敗者が・・・・

Fizy 22.高校生音楽フェスティバルにおいて私は審査員として二年目であった。
昨年以来の顔なじみも参加している、各地の11県から31校が争う大会において私は幾つかの決定を下した。
大会前にルポタージュを行っている幾つかのグループのうちの幾人かがスタジオワークの権利を獲得する一方で、何人かは共同作業が出来るポテンシャルが少なくなっていたか、もしくは完全に不可能であるという状態に近かった。
しかしながら当日の最後に同じステージで等しいポテンシャルを秘めたパフォーマンスを披露したのである。
私がここで一番嬉しかったことは、ドラマ―とベースギターリストの女の子たちが沢山いたということだ。シェブネム・フェラーフとテオマンの楽曲の主導権は今年、モル・ヴェ・オテスィへと残った。
イスタンブル・シャイル・アバイ・コナンバイ・アナトリア高校とアブジュラル・スレイマン・ナーズィフ・アナトリア高校の教員たちにここで謝辞をお伝えしなければならない。
二曲の難易度の高い曲を学生たちの力量に合わせてセレクトしたことはとても意義のあることだった。
誰が賞を獲得するのかという問題では私たちの考えと私が気に入った名前もここでシェアしたい。
明日、そして明後日、受賞者の名前を聞いた時に、彼らの名前も思い出してほしい。
∆ソリスト: ベステ・イレム・ペフリヴァン
∆ ソリスト:ゼフラ・カヴト
∆ ソリスト:アルダ・アルスラン
∆ ソリスト:スラ・ヤプラク
∆ ソリスト: ヤセミン・オルチュ
∆ ギタリスト:ヤームル・イレン
∆ ギタリスト:バルトゥ・オルハン・ビルギチ
∆ ギタリスト:アスルン・アイドードゥ
∆ ベースギター:エミルジャン・チェリケル
∆ エルバーネ:エスラ・チェリキ
∆ バーラマ:エレン・ジャン・ブダク

■もう一つ上のステージへ

アーチュカカン(トルコの若手人気ラッパー。トルコ語で「アカゲラ」の意)が、最近4か月で録音した楽曲から成る“Gravöl 0”というタイトルのEPを発表した。
このアルバムでは「ループ」というタイトルの楽曲がすぐに目を引く。これはバルトゥ・キュチュクチャーラヤン氏の別名義である「ジャナヴァル・バナヴァル」氏との共作で、アーチュカカンのまた今までと違う、ダークなスタイルをより一段高めている楽曲だ。

■春が到来する一方で・・・

春めいてくると、プレイリストの中には春らしさを感じる楽曲の数も増えてくる。
ビルカン・ナスフオール氏の4枚目となるシングル、「バハル・ゲルディ・ザール」は静けさ、平穏さ、春の青々しさを感じることができる楽曲だ。次第に暖かさを増して、かなり落ち着きも感じるようになると、寒さや、暗さからくるストレスは過ぎ去ってしまうことだろう。

■私は何を聴いたのか?

-アルトゥン・ギュン―「運転手」
-キュル―「外国人」
-二人っきりで話をしよう―「死ぬべきか」
-ブラク・ジルト &シェネイリキ-「今晩」
- シュハ・ラーミ&ビラル・カラマン―「ガゼル」

■TSM(トルコ芸術音楽)への新しい息吹

トルコ音楽の問題について、あのように重みがあってねばっこいマカームには惹かれないという方々にはまさにうってつけのシングルが先週リリースされた。デリャ・チュナル・オラル氏の曲で、作詞作曲はファーティフ・オラル氏が手掛け、アレンジメントはバーキ・ドゥヤルラルが担当した「こちらにおいで、愛しい人よ」はすぐにトルコ芸術音楽愛好者の心を鷲掴みにすることだろう。

■彼にとってはいつも別れの季節

エムレ・アイドゥンは、春の到来を全く気にかけない人間のようだ。彼はいつも決まってひと夏の恋を歌っている。「何もかもが君を思い起こさせる」は先週リリースされた楽曲の一つである。
ポップ・ロックであるこの楽曲は、やはり思いっきり「別れ」を匂わせる。

YaDaは二曲で音楽シーンへ、先週、公にデビューした。「巨大都市」と「大きな一日」、「ある日、成長するだろう」によって、デビューしたグループの二曲もトゥールル・チュレキのサインが入ったものだ。
「二人っきりの夏」という題の舞台で関係を深め合ったチュレキ氏とオズゲハン・オズトゥラン氏は、グループと共に新しいインディーロックのテイストを獲得している。

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(翻訳者:堀谷加佳留)
(記事ID:46859)