トルコ音楽:ニルペキがニューアルバムを発表「私は楽曲を悲しみの中から書いています」
2020年05月02日付 Milliyet紙


私は楽曲をたった一人のとき、悲しみの中にある時に書いたと語るニルペキは、「自分は悲しみ打ちひしがれているような人間ではありません、それどころか必要以上の悦びに満ちている人間です。」と語っている。

ニルペキの第三作目となるアルバム『手紙(Mektuplar)』では、囁くような声によって物語をあるどこかの場所からか声を出して読み上げているかのようである。精神的に内側に引きこもりながら生活をするコロナ禍の日々においても、私たちをまるで思考するようへと招いているかのようなのだ。「このアルバムでは楽曲の普通の世界においては、4つの壁の中で展開しています。そういう訳でアルバムにおいては実際のところ、ほんの僅かではありますが、「監視をしている」という感覚が存在しています。しかしながらドアの覗き穴からというのではなくて、様々なキャラクターたちの目からある女性の結婚へ、様々な友情や関係、喧嘩、狂気の瞬間に立ち会っているかのような感覚なのです。つまりはキャラクターたちではなく、しかしながらキャラクターたちの世界を非常に豊富に表現しているアルバムなのです」
二弾連続企画の形でリリース予定のアルバムの最初の5作の手紙について語る目的でこのコロナ禍の中で人気のなくなってしまったデミルオレン・メディア・センターにおいて人々に安らぎを当たれる庭で私たちはニルぺキと会って、太陽の穏やかな光の下で楽しい春のインタビューを敢行した。

―「あなたの第三作目となるスタジオアルバムである『手紙』の5曲入りの第一弾がリスナーに届けられました。第二作は5月8日にリリースされる予定です。「手紙」の物語を教えて頂けますでしょうか?この作品はどのような精神状態の時に制作されたのでしょうか?

楽曲の歌詞は、私の人生における非常に沢山の物事が物凄い速さで移り変わってしまい、私の感情が非常に激しく動いた時期に書かれました。そのうちの一部はまたこの時期において、作曲されました、また一部はさらに後で振り返りながら音楽を見出したのです。
恐らくは、全く曲の歌詞にはなるとは思わずに書いた、私のノートの片隅にメモをしながら書き記した手紙の全てです。あまりにも沢山の事が自分の中で巻き起こったということに気が付いたのです。私もまた再びその不満が自分の中で巻き起こってしまい、誰の感情にも訴えかけないような形で表現しようとしていました、このアルバムの以前には。私はこのように恐れる事をやめたと、ということが出来るでしょう。

■アルバムはある一人の女性の日記のようです。そしてまた私たちはそこで紡がれることのないダイヤローグの数々を読んでいます。女性と男性がお互いを理解する事はなぜこれほど難しいのでしょうか?

―個人的にはある一人の女性が男性とお互いに理解し合う事は、困難なことであるとは考えていません。これは私の考えでは全ての一対一の関係に関係している状況なのです。ある地点から盲目になってしまう感覚が起こるのですが、私の思うにこれは慣れ親しみに由来するものなのです。私たちの目の前に存在していて最もよく知っていて、彼らの事を私たちが非常に親しく感じたときには、もはや彼らの事を推測してしまって私たちは活動をしますが、人々は変化するのです。
盲目であることを止めない限り、この変化を私たちは見ることが出来ないのです。私たちに対してまたお互いに対してのオープンで、裸になる事から、合理的になることから、妥協することを恐れているのです。またそれに加えての様々な期待が、勿論のこと存在しています。
私たちの家族が、私たちの周囲の方たち、私たちの目の前に入るたちの、そして私たちの・・・これら全ての期待の数々が私たちとその関係を形づけていくにつけて形を成してきます。今回は私たちから独立したその他のある「生地」がその場で現れでるのです、私たちもまた、その中へと逃れこもうとしているのです。



■隔離期間はアルバムのプロセスに一体どのように影響を与えましたでしょうか?

―とにかく、収録の大部分は隔離の日々に入ってしまう前に終えてしまっていました。幾つかの録音もまた家で終了させました。この状況を一方に置いやっておいてしまえば、実際のところこのプロセスは役に立ったということさえいう事が出来るでしょう。家にいれば沢山の事へより一層リラックスして集中することが出来ました。

■「チーズを作っています、トマトの鉢植えがあります」

―実際のところ素晴らしいものです。朝起きて仕事をして、決まった時間に食事を食べ、決まった時間に何かを鑑賞するという素晴らしいルーチンがありますが、私はそれを気に入っているのです。この間に私の祖母、祖父母たちの若いころについて、家と、キッチンとそしてまた食材との関係についてとてもよく考えを巡らせています。チーズを作っていますし、私の家にはトマトの鉢植えがあるのです。

■事態の初めに起こっていたような努力の数々、ふっくらパンを焼くこと、本をシェアするといったことはストップしてしまいました。恐らくは流れ-任せてしまって、私たちはきっとよくなるだろう、と思い込んでしまったかのようです、人々は!
家に留まることに私たちは慣れているのでしょうか?

―もしも私にそのことを質問するのであれば、家にとどまり続けているこのプロセスにおいて生活のクオリティと私たちが言っているものが、一体なんなのであるかのいうこと、また一体何にこれほど時間を割くことができるのかということ、一体何を食べて何を飲んでいるのかということを考えてみたことでしょう。恐らくはイベントとしてではなく、それらのイベントがノーマルなものとなったために、シェアが止まってしまったのでしょう。もしくは恐らく私たちはすっかり疲れてしまったのでしょう。私が思うに皆にとっての唯一のものとなる答えは存在しません。私はすっかり慣れてしまいました。しかしながらこれには本当に飽きてしまう沢山の人もまた存在しているはずです。

■アルバムがリリースされましたが、このプロセスはあなたの生産のプロセスにはどのような影響を与えたのでしょうか?しいものを書くことの仕事もお始めになったのでしょうか?

―プロセスもしくは隔離の日々にではなくて、個人的にアルバムが実際のところ「生産性」と私たちが言うことに対して、ネガティブな影響を与えてしまっているということができます。今現在、完全にアルバムリリースの興奮の中に私はいるので、その他の事については特に考えることは出来ないのです。しかしながら、このアルバムを断片的にリリースを行えば、様々な言葉は再び戻ってきます。楽曲を書くことを始めないとしても、これは素晴らしい感覚なのです。

■コロナウィルスは個人的にあなたを変えてしまいましたでしょうか、また主流の人々の変化の数々もまた一緒にもたらすであろうという事をお考えになっているでしょうか?

―言いましたように、私がそれについて考えていること、取り分け私たちのライフスタイルに関しまして、私の脳裏に残る沢山のことがあるのです。しかしながらこれは、少しばかりながら私たちに考える時間が存在している事に関係しているのです。今私は実に沢山の事に躊躇することなく取り組んでいます。私たちは新たな道を探っています。しかしながら生活が平常に戻ればまたランニングをスタートしてまた最も簡単な解決策を選択してしまうのではないかと恐れています。

■「私の家族と私の友人を見ることが、私がする最初のことです。」

―「私たちがどこへ向かおうとも、私たちの後ろから私たちを追いかける私たちの悲しみの声」という風にインターネット辞典ではあなたのことが解説されています。その声と同じくらいにニルペキは、悲しみに満ち溢れる人間なのでしょうか?

悲しみとは、たった一人で感じて(それが良いことなのかどうか私には分かりませんが)「
そのような感情を生きることをまた楽しくも思っている感情の状況です。その楽曲の歌詞もまた、自分一人でいるときに、この悲しみの中で私は書いています。そうでなければ、人々の中にある時に悲しみに打ちひしがれているわけではないのです、それどころか必要以上に喜びに満ち溢れている人間であるとさえいうことができるでしょう。恐らくはその悲しんでしまっている状態もまたそこまで深刻にとらえてしまってはいけないと感じていることの一つです。



■全ての人がこのコロナ禍から無事に抜け出すことが出来たときに、あなたがやってみたいと思ったことがあるはずです。あなたにとって最もやりたいと願ったこともしくはあなたがやる一番最初の事とはなんでしょうか?


―自分の家族と友人を見ることは、私がまず最初にするであろうことです、それ以外では恐らくはちょっと観光をすること、イスタンブルの外に出る事、恐らくは足を水につけたいと思うかもしれません。

とにかく録音の大部分を隔離に入ってしまう前に終えてしまいましたし、幾つかの録音もまた家で終えてしまいました。

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(翻訳者:堀谷加佳留)
(記事ID:49180)