Murat Yetkinコラム:ノールーズはどうしてクルド人の象徴となったのか?

2015年03月21日付 Radikal 紙
今日(3月21日)、トルコ政府監視の元、オジャランからクルディスタン労働者党(PKK)に向けたメッセージが発表される。そのメッセージを、PKKを支持する有権者のほとんどが投票する人民の民主主義党(HDP)の議員により、ディヤルバクルのノールーズまたはネウローズ祝賀の場で読まれるということは、トルコ国家による否定政策の破たんであり、懺悔であり、自己批判のようである。

今日、トルコでは多くの人々の目がディヤルバクルに向くことになる。

クルド人問題への政治的解決が、トルコにおける民主主義や一体化の機運を高めることになると信じている人々も、PKKと対話を図ることがテロへの妥協であり、領土分割につながりと考える人々も、そしてこの問題の結末を不安げに遠くから見ているすべての人々も、否応なく皆ディヤルバクルからの声に耳を傾けるだろう。

アブドゥッラー・オジャランの、イムラルからのメッセージは、今日ディヤルバクルで何十万にも上ると予想されるノールーズ祝賀参加者に伝えられる。

それ程昔でなくとも、例えば5年前、ある人物が出てきて、非合法組織PKKの終身刑に処せられたリーダーの、PKKや支持者へ向けたメッセージが、トルコ政府の監視下で、たとえば国家諜報機構(MİT)のような機密性の高い国家組織の仲介のもと発表され、すべてこれらのプロセスに関わった国会議員らの手で、国民に公表されることになるなどと語ったりしたなら、(その人物を)ばかげたようなまなざしで見て、刑務所にぶち込んだであろう。

当時は夢だったのだ、しかし現実となった;思えば遠い道のりであった、これが実現するなどと誰が思っただろうか?

現実のものとなったことがもう一つある、それは1999年から1人で12㎡の独房で生きたオジャランが、今日、トルコ政治の潮流に、実質的な方向性を与える最も重要な人物の1人となったことである。

ヤルチン・アクドアン副首相は、公正発展党(AKP)政府としての期待を何度も述べてきた。
HDP(人民の民主主義党)の議員らと共に2月28日に行った会見以降、政府は、オジャランがノールーズの日にPKKに向けた武装解除・武装放棄の呼びかけを行うことを期待している。
また私の見解では、政府は、オジャランがPKKを「確固たる停戦」または別の言い方で「実質的活動停止」のため、議会に呼ぶのを、否応なく受け入れることになるだろう。

というのも、これ以降PKKが「それならば」とテロ活動を開始すれば、放っておいても10%という得票率制限の壁を超えると考えるHDPにダメージを与える一方、それと同じくらい再度衝突に逆戻りすることで、AKPにもダメージを与えることになるからだ。

政治的見方がどのようであれ、トルコで人々が(衝突の)犠牲者の葬列の後を歩くことも、衝突の際に殺された若者の葬儀で弔辞を述べることももはや望んではいない。

政府もあるいはPKKも、少なくとも6月7日の選挙までは、お互いの主張を、好まずとも認めざるを得ないと考えられている。

エルドアン大統領は、「クルド問題は存在する、解決に政治生命をかける」と言って首相時代にこの解決プロセスを開始しながら、近頃「もう(クルド問題は)存在しない」と発言し、また監査委員会(アクドアン副首相が、ダヴトオール首相の承認をもって正式に設立されると述べたもの)を好まないと発言するといった態度をとっている。このことは、オジャランに、最後の最後にエルドアン大統領の態度に応じた、メッセージ調整を強制しているようなものである。

イムラル島とカンディルの間の「脅迫と同情のルーチン(good cop bad cop routine)」ゲームが、エルドアンとダヴトオールの行動計画案となるのではと思われる一方で、事が起きて、うまくいかなければ、「だから私は言ったではないか」などと言って、本来の狙いである大統領制(リーダーシップ)が影響を受けないための予防策であるようにも、思われる。
このことには、また、6月7日の選挙に狙いを定めた、観衆(有権者)に向けて演じられる劇という側面もある。

結局、北部・中部・西部アナトリアに暮らすナショナリスト/保守層の有権者が、この解決プロセスを過度にとらえ、例えば民族主義者行動党(MHP)に支持が集まるのではといった不安に、AKPがとらわれることは、当然のことのように思われる。

もちろん、この全てのプロセスの重要な段階で行われることになる(オジャランの)声明が、ネヴルーズであれ、ノールーズであれ、もしくはネウローズであれ、そうした名のもとで、春の良い知らせとして行われることには、全く別の意味がある。

イランにおける公式の新年の祝賀であると同時に、世界中の多くの人々によって古くから祝われてきたノールーズは、ここ20年程でクルド人アイデンティティの一部となった。
どのようにしてこうなったのだろうか?

これはオジャランの、トルコ国家の隙を非常によく突いた政治的機動性がもたらした産物である。ノールーズ(Nevruz)も、ノールーズ(Nevruz)がトルコ語アルファベットに存在しない「w」の文字-私たちはこれを柔らかいvと言うことが出来るが―を用いて表記され始めたことも、オジャランの「トルコのクルド人たち」に対するアイデンティティ創出計画の一部なのである。
そしてその計画は功を奏し、PKKの立場に立てば成功に終わった。

なぜなら、1980年クーデター以降公式見解となった「クルド人はいない、クルド語はペルシア語の変形だ」と要約できる否定政策は、見る見るうちにノールーズは中央アジアから生まれたトルコ人のお祭りだというプロパガンダを開始したためだ。

この(「ノールーズはトルコ人の祭り」とする)言説は、PKKの、ペルシア―クルド神話に起源を発し、人々が数千年もの間物語形式で伝えてきた、鍛冶職人カワ(Kawa)、あるいはカーヴェ(Kave)が、暴君デハク(訳注:『シャーナーメ』のザッハークにあたる)に対し、山の頂上から火をつけ、反乱を起こしたことを生き生きと描く言説をまえに、あわれなほど非常に不十分なものであった。

国家は、ネヴルーズの火を灯した人々を、ハライを踊り奇声を上げる人々を、暴力を用いて蹴散らせば蹴散らすほど、実際のところはPKKの手中で遊ばれていたのだ。勝利したのはPKKであった。

別の観点から見てみても、今日(3月21日)、トルコ政府監視下の元、オジャランからクルディスタン労働者党(PKK)に向けたメッセージが発表される。そのメッセージを、PKKを支持する有権者が投票する人民の民主主義党(HDP)の議員により、ディヤルバクルのノールーズまたはネウローズ祝賀の場で読まれるということは、トルコ国家による否定政策の破たんであり、懺悔であり、自己批判のようである。

トルコは、国内和平、民主主義、一体化を必要としている。今日までどうしてそうでなかったのかを問うことを乗り越えるために、「軌道修正するに、遅すぎるということはない」という素晴らしい格言がある。
国内和平、民主主義者、そして平等主義者は、一体化の強化のために、わたしたちが春を迎え入れるこの素晴らしきノールーズの日に、それぞれが自分の役目を果たすべきである。

ノールーズおめでとう。


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翻訳者:木全朋恵
記事ID:37156