Murat Yetkinコラム:HDPはトルコ政治・クルド政治正常化への道

2015年04月21日付 Radikal 紙
民主主義の中でのクルド問題の解決はすでにクルド問題を焦点にしていない政党にとっても優先事項でなくてはならなくなっている。

セラハッティン・デミルタシュ人民の民主主義党(HDP)共同代表とフィゲン・ユクセキダア氏は昨日4月21日にイスタンブルで選挙告知の公布を行った。

これまで長年政治を見てきたが、ここまで喜んで発表された選挙告知は初めて見る。

特にユクセキダア氏が「宗教庁を廃止する」と言ったとき、デミルタシュ共同代表が「宗務庁長官の車をどうしましょうか?」と言って間に入ったこと、その時「ジェムエビに寄付しよう」と即答したことは、政治において以前に類をみない自然な生き生きとした一例である。


ではこれを例に「ほらこうやって政治が普通になっていく」とはもちろん言えない。

本当の所、これも普通になっていく証なのだ。

しかし昨日の笑い声の下には何十年もの苦しみがあることを踏まえて、では実際には何があったかを短く見ていこう。


最低得票率制限から始めよう。世界でも稀にみる不正な投票率を作ったのは1980年クーデターを行った軍であった。口にした理由は政治の安定であったが、真の目的は社会主義政党とイスラム原理主義政党とクルド主義政党が国会に入るのを防ぐことであった。

その楔を初めに壊したのはイスラム原理主義政党から出た福祉党であった。この後を2002年に単独政権となった公正発展党(AKP)が継いだ。

しかし、与党になる前は10%最低得票率制限を批判したAKPはクーデター実行者たちと同じ理由で、政治の安定を理由に今はこれを支持している。



今、10%最低得票率制限で困難しているのはHDPである。では、HDPはどのようにして10%を困難するような状況に至ったのだろうか?

HDP以前、クルド問題を優先する党は、誰も受け入れない、PKK(クルディスタン労働者党;非合法)の議会での一翼の外観をまとっていた。彼らによれば、「同じ基盤を共有している者達」。

その党構造によって6~7%を超えられなかったために、10%をイスラム法の再婚方法にならった形で超えなくてはならないことになった。つまり[選挙時に党から離れて]無所属で選挙で勝利し、議会での宣誓後に党に戻っていた。


タイイプ・エルドアン首相の時代、2012年にクルド問題に対し政治的解決の模索によってハカン・フィダン国家諜報機構(MIT)事務次官がイムラルの刑務所に収監されているPKKのリーダー、アブデゥッラー・オジャラン氏と接触したことによって、変化が始った。

この過程の中で、真っ先に自身の考えに符合する平和民主党(BDP)とクルド問題を前提とした党が使命を終え、(9月12日クーデターで最も被害が大きかった)トルコ人社会主義者たち、民主主義者とリベラルをも引きつけうる新たな体制が必要なことを提案したのはオジャランであった。

この党はもうクルド人の権利のためだけに活動しない。この党をトルコにおける普遍的な民主主義化の合意の一部として見なすとした。HDPはこのようにして誕生した。


そして、現在まで見受ける限りこの精神は続いている。クルド闘争を越えたこのアプローチが取られているおかげで、そして当人がうけた支持によってデミルタシュ氏は2014年の大統領選挙で9.8%の票を獲得した。

HDPを10%の得票率を超えることができると勇気付けたのはこれであった。

その時オジャランはPKKへ1984年に(今日まで4万人が犠牲となった)武装闘争を始める理由となったクルディスタンの独立という目標をあきらめて、政治的手法で権利を手に入れることを議論するよう呼びかけた。

実のところ、4月7日の17時まで、候補者リストを高等選挙委員会に提出するまで、HDPが何時何時であれ議会入りを果たすために無所属候補の手法に戻ると考えていた。



昨日、デミルタシュ氏とユクセキダア氏によって公布された選挙通知は、HDPがクルド人の党であること以上に、トルコのために目標を立てるという目標に適うものであった。

ディヤルバクルをよく知るNTVの記者ニザメッティン・カプラン氏は、住民が、クルド問題のほかに、教育、社会援助、外交のような問題におけるHDPの見解を耳にすることに満足していると話した。

平常化とはこれのことである。国全体に関する問題に関しての見解を伝えることである。


HDPがいなかったとしたら、例えばCHP党首ケマル・クルチダルオウル氏は選挙の通知でクルド問題に対する解決プロセスに関してこれほど詳細かつ明白な表現を使っただろうか?それはわからないが、実際に使ったのだ。

HDPと同党とのクルド有権者上での競争がなければ、AKPはクルド問題解決について選挙通知で触れなかったと、これほど批判を受けたであろうか。アフメト・ダウトオウル首相は「忘れた」と言って、-まさに昨日-三ページ半の付録を作成させたであろうか。それはわからないが、実際にそれが起きたのだ。

これも平常化なのだ。民主主義の中でのクルド問題に対する解決はもうクルド問題に焦点を合わせていない政党も重要視しなければならなくなった。


HDPはすでにこれほどまでに政治の中にいるので、同党が10%を超えることは、例えばエルドアン大統領が望むスーパー大統領制に勝るとも劣らない話題である。

HDPの状況はまだ明らかではない。まだ10%は超えていないのだ。

しかし、超しても超さなくても、クルド問題でけでなく、トルコ政治が今から平常化し、豊かになり始めたという状況にあるのだ。


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翻訳者:竹田史佳
記事ID:37355