Doğan Kubanコラム:傷だらけの顔のイスタンブル

2015年05月15日付 Cumhuriyet 紙
草原の遊牧民の略奪と馬を持たない遊牧民による町の略奪の間に、多くの違いはない。騎馬遊牧民は支配した土地を略奪し、民衆を奴隷にとった。町に移住したアナトリアの民衆も町の土地の略奪構造を実行した。民衆を奴隷にはしなかったが、民衆の生活を町の奴隷へと変えた。このことは都市化、さらには現代化とさえ言われている。

騎馬遊牧民は略奪によって生活していた。私たちも、自らの都市を略奪している。しかし、これは草原でなされるようなものではない。私たちは自らの町を醜いものに変え、その中に、私たち自身を閉じ込めているのである。このことは文明化の変質というわけではない。いわゆる現代的な建物によって、イスタンブルのゲジェコンドゥの構造が残る街区ほどに醜く見え、高く高く積みあがる高層建造物が立つ地区においては恥ずかしく思えるような計画性の無さがある。

親愛なる読者の皆様方、

これら全てのことは社会構造の機能の歪みである。生物学の用語でいうところの癌である。これを隠す余地は無いのである!こうしたことは社会の不均衡の貧しさと悲惨さなのである。ゲジェコンドゥとは、イスタンブルやアンカラで最初に現れた時には、都市へ仕事を探しに行く民衆が本当に一夜で、1・2日のうちに、違法に土地を所有し、うらびれた土地において、かき集めた寄せ集めの資材を用いて自分たちで作ったぞんざいな居住地のことである。ゲジェコンドゥは完全な寄せ集めだった。人々の動物小屋であったのだ。町の市民はゲジェコンドゥを恥じた。しかしトルコの危機の兆しでもあった。ゲジェコンドゥの存在は社会の絶望の兆しであり、町が自らを守ることができていないことの兆候であった。この伝染病は町の富める街区へと伝播していった。

■遊牧民の略奪者のアイデンティティーは与党にあり

紛れもなく、都市構造と社会構造にとって伝染病としてみなされるであろうゲジェコンドゥは、それを建てそこへと駆け込んだ人々にとっては病気ではなかった。村においても、貧しい家族は同じような家の条件で暮らしていた。ある視点から見ると、ゲジェコンドゥは少なくとも、それが町の中の空いたスペースに建てられた時には、そうした人々の出身の村における状態と比べて、より良い条件であったのである。短期的には水場や水道、―許可、無許可にかかわらず―電気や仕事に行く道路、子供のための学校や、将来従事するであろう仕事を得る可能性があったのだ。

しかしながら、徐々に人口を増やしたゲジェコンドゥは当時から残る土地を占有し、許可のない工事をする民衆の欲求の結果、政治的方針の基軸となった。移民の人口が増えるにつれて、町にもともと住んでいた民衆は少数派になってしまった。人口の増加と比例して、街区長や市長、党員や議員はゲジェコンドゥ住民の票を必要としはじめた。新しい政治の動きが形成されたのだ。これらのことは新しい投票のパターンであり、大衆政治(ポピュリズム)と出会ったのだ。占有された土地、あるいは不適切に寄贈された公有地、許可のない竣工、また許可のない建物は、無許可の電気や水道への道を開いた。イスタンブルは許可を取っておらず、計画もなく、さらに違法である工事の楽園となったのである。
のちに、この病気はトルコ全土に広まった。政治家たちが言うには60%ほど、広まっているようだ。この態度は権威政治へと変化し、その数が何百万という数にまで増えると、この最初の動きにより、新しい町の秩序が(より率直に言えば、無秩序状態が)出現したのだ。こうした秩序がくわえられつつ、町の新しい発展のパラメーターとなった。混沌が秩序にとってかわった。無秩序が増加し、混乱が解決不可能になった。

権力に自ら向かったアナトリアの民衆は、イスタンブルという名のこの町に遊牧民の略奪的本性を取り入れた。空白の安価な土地や公有地が不適切な形で寄贈されることは略奪組織が形成される余地を与えた。管理下に置かれている無意識の人の数は、組織されたグループが自治体から始まり、国家機構や政党をも手中に入れる余地を与えた。トルコにおいては、1950年より以前はそうなることが物理的に不可能であった、社会・経済・政治的な混合体の発展が、今日まで引き続いたのだ。

■街の大量殺害が問題に

歴史において、騎馬遊牧民による文明国の占領がいかなる結末を招いたとしても、またイスタンブルとアナトリアの移民による占領が、そのような致命的な目的のもとにあるものではなかったとしても、それどころかある種の亡命の意図を持ったとしても、(ゲジェコンドゥは)町を肥大化させ、しかし同時にその性質をも変えてしまう回復不能の伝染病として町の大量殺害に変化している。
ベイオールやビュユクデレ大通り、アタキョイはイスタンブルではない。(こうした地域は)形としてはイスタンブルといわれる居住地の異質な部分である。アタキョイがなければ、マスラク通りがなければ、そうしたものは似通ったものが明日何十個も形成されうるだろう。しかし、ベヤズトやサライブルヌやガラタがなくなれば、イスタンブルにおいてはマイナスとなる。

計画が練られておらず、死んだ細胞組織を毎日増やし、外側すべてが醜いよごれだらけの、そしてゲジェコンドゥと現代的なガラス張りの高層建築物が隣り合っておかれ、幹線道路の呼吸困難と政治的腐敗、無法状態や無計画状態と経済的な収奪が、町を蝕んでいる。こうした状態は人々の人生を吸い取りながら続いており、苦しんでいる人々の溜息をためこみ、聞き流されている。これらのことは病気の初期の症状である。

イスタンブルは国内の人口の25%を―経済の50%を担う、すなわちトルコを独占している都市である。言い換えると、トルコの未来はこの町の手にかかっているのだ。イスタンブルは企業やメディア、出版とともに、この独占を代表する者なのだ。この独占は、民主主義と正義が棚上げされたこの国において、文明に反する発展を強めている。
この歪みが社会をどのように悪化させるのかということを分析することは難しい。これらのことは詳細な科学的研究のテーマなのである。この文脈において、初期のゲジェコンドゥから今日の超高層ビルに至るまで影響を及ぼしたいくつかの傾向とともに、社会は教育とモラルの面で、国際的な水準より低い状態へ落とし、社会における絶望を高めたのだ。

■歴史的な病気:無関心と不正

親愛なる読者の皆様方

トルコは歴史的な病気である無知と不正と戦っている。戦いを市民は自分自身に対して行っている。AKPの賞賛は必要ない。AKPは社会的なふるまいを簡略化する、なにかしらの政党である。しかし、移民の考え方を持つ民衆に対して最も近い政党でもある。こうした展開の結末は悲惨なことに成り得る。無慈悲で非人間的な者が何百人という人間の暮らしを弄ぶ可能性がある。このことについて、以下の出来事を知っている人ほど私は知らなかったのである。

50人に共有されている1500平方メートルの土地があり、この土地には40の建物がある。ここではおよそ300人の人間が住んでいる。900平方メートルの土地の所有者はその所有地を外の人間に売った。購入者はすぐに「不動産共有」訴訟を開いた。1、2年前に法律が獲得した可能性として、この900平方メートルの購入者は、残り14100平方メートルの土地も40戸の地権のある住宅に住んでいる300人の住民を建物から退去させることによって脅かす可能性がある!?
町の、人が住んでいて、建物が建っている地域において、40戸の建物の所有者を15年来の土地から退去させるたくましさを与えた法律は、21世紀のトルコにおいてどのようにして現れるのか?
これほどまで人々の暮らしを、住居でもって弄ぶことは、オスマン帝国期のいかなる時代においても存在しなかった。このことは、近代法とも人権とも、あるいはシャリーアとも関係ない。どうか法律家の市民が、こうしたことはこの国ではありえないということを言ってくれるよう!そうすれば、絶望に加わる候補はこれ以上なくなるだろう。

親愛なる読者の皆様方、

いかなる条件においても、この土地には人々のために考え奮闘する人々がたくさんいることを、私たちはトルコ独立戦争時に学んだ。今日においても、今あるものを使って未来を作ろうとする人々が何百万人といる。彼らの声は多少かもしれない。彼らの考えは不鮮明かもしれない。しかし、彼らは現代世界のパートナーなのである。

この国が世界と遅かれ早かれ出会うような唯一の方法は、現代文明化の道である。これへの到達が準備されることは、民衆に届く言説が作り出されることにおけるスピードと関わっている。このことも、自らをインテリと考える人々に少しばかりの自己犠牲と努力を期待している。


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翻訳者:成田健司
記事ID:37752