Mehveş Evinコラム:足下の大きなドラマ

2015年07月20日付 Milliyet 紙
エーゲ海岸は、照りつける太陽、さわやかな強い風、涼しい海によって旅行者にとっては間違いなく天国である。しかし、生きるために何千キロもの道のりを歩んできたシリア、アフガニスタン、イラク、さらにはミャンマーの難民たちにとっては悪夢である。

アイヴァジュクとアソスでは、卵を割れば料理できそうな温度のアスファルトの道端で足を引きずる貧しい難民たちに出会うかもしれない。

毎晩、家族全員で何百人もの人々が、夜ミニバスでババカレへ移動する。早朝にコルバシュ村のイェシル港へ向けて歩く。目撃者は、毎日20人から50人を9人から10人乗りのゴムボートに乗せてレスボス島へ移動しようとする難民の状況を見ると、彼らはなす術もなく疲れ果てていると説明する。ここからレスボス島の北端にあるモリヴォスまでの距離は9.65kmである。しかし、時に海の気まぐれ、時にボートの故障で引き返すことになる。最悪、海の藻くずとなる。

■地獄のような

難民たちは、島に入ることができれば、自分自身を幸運だと考えている。しかし、ドラマはここでも終わらない。レスボス島で暮らしている新聞記者ストラティス・バラスカスは、「島は、地獄となった。難民たちは、モリヴォスから飲まず食わずで、75km先にあるカラテペ・キャンプまで歩かなければならない」と述べた。

島民が難民たちに乗り物を提供することや、バスやタクシーの運転手が彼らを乗せることは、法律上禁じられている。にもかかわらず、多くの島民は、 難民たちに、寝る場所や食べ物、飲み物を与えている。何人かは、私達同様「ここに何の用がある」と言っている。

カラテペ・キャンプは、400人規模の場所であるが、現在、キャンプには4,000人がいる。バラカスによれば、グアンタナモよりも悪い条件で、アテネから来る書類を待っている。難民はそこから他のキャンプ、モリアに移送される。

シリア人は、内戦を逃れてきたため難民認定を受けられる。しかし、アフガニスタン、イラク、ミャンマーから来た人々は、送還される。多くは、マケドニア国境に辿り着き、徒歩で越境しようとする。

■1日で1000人

国連によると、一日で平均300人の難民がトルコから(アイヴァルクとババカレ)からレスボス島に渡る。ボドゥルムからコス島へのルートも合わせると、1日 平均1,000人の難民がギリシアに渡っていることになる。(ヒュリイェト紙)

ギリシア側は、トルコ当局が難民の流入を阻止するための措置を講じていないと考えている。イェシル港からだけでも、毎日出港する9艘のボートのうちわずか数艘に軍警察が対処できる。

チャナッカレ県は、問題の拡大に対して解決策がない。その数200万人を超えるシリア難民達をどう扱っていいのかわからないトルコでは、「少しでもヨーロッパに移ってほしい」という風潮がある。

しかし、難民問題は、近いうちに、トルコおよびギリシア、ヨーロッパで惨事を生む可能性がある。確かに、問題はトルコとギリシアの向こう側の情勢に関連している。しかし、次のことも現実である。 世界の様々な場所のイスラム教徒のドラマを政治の道具にすることを恥じない人々は、自国にあるドラマに関しては声を上げないのは、注目すべきである。


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翻訳者:新井慧
記事ID:38211