Oral Calislar コラム:難民の数は住民の数を超えている

2015年12月05日付 Radikal 紙
シリア難民は、トルコの国境の町にもはや断ち切ることの出来ない影響を及ぼしている。この地域で新しい人生、そして新しい関係のネットワークを形成している。

シリア難民はいつニュースになるか?
トルコの国境付近の町で、住民との間に緊張が走った時だ。
緊張が起きないことは可能なのか?
この質問を、2日間の会議が終わってからというもの尋ねている。

1日目、我々はガーズィアンテプにいた。シリア難民の代表者の話を聞いた。彼らの話は、我々が知らない世界から届く奇妙な声のようだった。
今回の会議は、4つの団体が共同で開催したという。PODEM(公共政治と民主主義委員会)、SAFEWORLD(セーフワールド:武力衝突の防止と安全な生活の構築)、ORSAM(中東戦略調査センター)、そしてシリア人が設立したBAYTINAという市民社会組織だ。
2日目は、アンカラにいた。ガーズィアンテプで我々が聴いた非難の声や不満、要求を政府関係の代表者らと話した。

■公式数は240万人

移民管理総局の代表、メフタプ・イイジェ氏の発表による数値から始めよう。公式記録によると、トルコで「一時保護」の元にあるシリア人の数は240万であった。またイイジェ氏によると、このうち220万人は今なおトルコで生活している。
これらは、記録上にある人の数だ。記録のない人々、不法生活を選んだ人々の数も加えれば、この数値がより一層増え、そして今後もだんだんと増えていくことがわかる。

例えばキリス県だ。キリスの県人口は12万9千人だ。2014年10月時点での登録難民の数はというと、9万8千人である。記録外の人々も考慮すれば、市の人口構造が、4年という短期間のうちに完全に変わったということができる。似たような割合は、ウルファ、ガーズィアンテプ、ハタイといった各県でも確認できる。
このような構造変化は、かなりの問題を伴う。人口10万人のキリス県は、今20万の人々に『行政サービスを提供している』。…正しくは、提供できていない。

県だけでなく、多くの公共施設が、増えていく収容能力のために途方に暮れている。病院に関して用意されたレポートで、次のような文章を見るのは驚くようなことではない。「各病院の受け入れ能力を超えており、まさに野戦病院のような光景が広がっていることは、医療サービスを享受することが出来ない上に、精神的な問題を生み出している。キリスの住民はこの観点から、シリア内戦が自国内に移ってきたかのような感覚に陥っている。」
こうした状況は、国境付近の町においてもはや断ち切ることの出来ない影響を及ぼしている。この地域で、新しい生活と新しい関係のネットワークを構築しているのである。

■難民の抱える問題

難民の代表者らの語ったことは、以下のように要約できる。
もっとも根本的な問題は、トルコ政府と地方住民が、国内のシリア難民(あるいは「お客さん」)という存在を、一時的なものとして見ていることから生じている。
こうした考えは、社会的統合を支える場、すなわち教育と雇用の現場において、総合的な取り組みが行われていないことの一因となっている。
法的地位、教育と雇用における不安定は、シリア人がトルコでの将来像を描き、自己実現することを不可能にするグレーゾーンを生み出している。彼らは今後5年先を見ることが出来ないのである。

■教育問題
シリア人は、つまりシリア人の学生も教師も、トルコの国民教育システムに加わることを望んでいる。シリアの子供たちが、社会に統合されるためにトルコの小学校で学ぶ必要があるという考え方は十分に広まっている。
シリア人の学校が閉鎖され、子供たちがトルコの学校に通うことの義務化が、大きな象徴的価値となるだろうと考えられている。
こういった一歩は、それが踏み出されたときに社会的な統合に向けた政治的な意志があるということの最初の信号を与えることになる。

教育状況の不透明さが取り除かれれば、シリア人はトルコに滞在するためにより確かな理由を得るだろう。この社会的統合に向けた更なる前進のための、圧力要素となるのである。
だがその前に、子供の将来をはっきりとさせる国民という身分が議論されなければならない。身分に関する不透明さが取り除かれれば、教育における不透明さが取り除かれるということだ。

シリア人の子供が難民キャンプで学校に行く割合は、キャンプ外で学校に行く割合よりもかなり高い。難民キャンプの学校ではトルコ語の教育に加えアラビア語の教育も行われている。難民キャンプ外の学校にとっては、これが1つのモデルとして検討され得るだろう。

■経済

シリア人就労者には大きな役割が降りかかっている。シリア人の中にある新進的で勤勉な心が死ぬことを許してはならない。シリア人は支援法案に慣れてしまってはいけない。
働くためには健康保険に入る必要がある。このために就労権を獲得する必要がある。このためには居住許可が必要だ。そしてこのためには銀行口座、このためには居住許可が要る…。この不毛なループから抜け出し、官僚的な障壁を越えることは容易ではない。
法的地位が明白にならない限り、就業権も意味を持たないことになる。ある(会議での)演説者は、次のような例を出した:「私の兄弟はスウェーデンに行くために1万3千ドルを支払いました。トルコでこの金額は、良い投資になり得ました。教養あるシリア人を、トルコ社会に獲得させる必要があります」と。

■青年

青年らは自分がどこへ行くのか分からない。その多くは学校で問題に出くわす。朝から夜まで非常に厳しい条件のもと、月に600リラ(約2万5千円)で働いている者もいる。
しばらくすれば、トルコでシリアの若者を見ないようになるだろう、なぜなら彼らはヨーロッパにいるからだ。彼らにとっては、トルコにいては近い将来も遠い将来も全くわからない。トルコは、彼らがヨーロッパに行く前にひと時を過ごす通過地点に過ぎない。シリア人の中には、「少なくともあちら(シリア)には無料で住める家がある」と考えて、シリアに戻ることすら考えている者がいるのだ。

■なにをしなくてはいけないのか?

私たちは、シリア人の話を聞いた、彼らの問題を理解しようと努めた、そしてそれらをアンカラで議論した。明らかになった構図を、以下のようにまとめることが出来る。
政府は、最初にトルコへの国境越えが始まったとき、これを一時的なものとして受け入れていたのは明らかだ。「シリア問題は解決される、そしてこちらにやってくる人々も元の場所へと戻ってゆくだろう」と見込んだのだ。
難民は途絶えることなく、非常に大きな数に到達したようだ。そして、トルコが太刀打ちできない新たな問題を持ち込んできたようである。
いま政府は、もはやこの問題が永続的であるとみて、それに沿った方策と政治を創りだそうと努めている。
我々がまず理解出来たことは、組織間で真剣な協調関係が求められているということだ。移民管理総局然り、警察然り、開発省、保健省、首相府然りだ。みなが、それぞれの方法でこの問題に対処している。ある人はああ言い、ある人はこう言う。
首相はこの状態を終わらせるため、ひとつのセンターを創ることを決めたそうだ。
社会的な見地にたてば、難民も、国境付近の町に暮らす住民も、現実に気が付いている。偏見や差別は、小さな小競り合いを除いては起きていない。この危機は私たちの意志の外で生まれた危機だ。ある演説者が話したように、「私たちに出来ることは、危機をチャンスに変えることだ…」
難しい、しかし可能なことのように見える。


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翻訳者:木全朋恵
記事ID:39320