Fuat Keyman コラム:PKKが、HDPを舞台の外の追いやろうとしている今このときに・・・

2015年12月30日付 Radikal 紙
デミルタシュ(HDP共同党首)は、地域自治要求の宣言文を、PKKによりHPDが舞台の外に追われる、さらにはその存在に終止符が打たれるという不快感と悲しみを感じながら読み上げた。そうにちがいないと私は思う。

まず、HDPのセラハッティン・デミルタシュ共同党首は、モスクワに向かった。そしてラヴロフロシア外相と会見した。そして、「トルコ政府はロシア機を撃墜するという過ちをおかした」と述べた。

この件に思いをめぐらすと、次の問いが浮かぶ。2014年8月10日の大統領選挙や今年の6月7日の総選挙において、単にクルド問題解決の主役というだけでなく、同時に「トルコの政党」となったHDPの共同党首として、モスクワにいき、「トルコ政府はまちがっていた」といったのだろうか。つまり、モスクワで会見をしたデミルタシュは、トルコの政党たるHDPの共同党首だったのか、あるは、PKKの特使としてだったのか?

私の答えははっきりしている。デミルタシュは、モスクワにHDPの共同党首としていっていたら、その言葉(=「トルコ政府はまちがっていた」)を口することはなかっただろう。さらには、わざわざモスクワに、ラヴロフに会いに行くことを拒んだだろう。モスクワにおけるラヴロフ・デミルタシュ会見は、6月7日以前にはじまり、徐々に問題化していった「PKK-HDP関係」において、PKKが完全に勝利したことを意味していた。

モスクワからの帰還後は、デミルタシュの発言は、徐々にPKK―KCK―カンディル(北イラクのPKK本部)寄りのものになっていった。PKKによるHDPへの幕引きプロセスは、はじまっていた。

第二に(そして、これが最終行動だが)、DTK大会で、デミルタシュが、「地域自治要求」を含んだ声明文を読み上げるという段階になった。

ここでの問いは、デミルタシュは、このDTKによる地域自治声明を、HDPの共同党首として読みあげたのだろうか?というものだ。私はそうは思わない。

ひとつのトルコの政党であるHDPの共同党首たるデミルタシュが、政治よりも暴力を優先させ、暴力を前提とし、武装した自治統治を求める声明を読み上げたいと思っただろうか?私は全くそうは思わない。

デミルタシュは、「地域自治要求」の声明を、HPDがPKKにより舞台の外に追われる、さらにはその存在に終止符が打たれるという不快感と悲しみを感じながら読み上げた。私は、きっとそうだと思う。

6月7日の総選挙の夜、HDPの勝利と、この勝利のなかに含まれていたトルコの政党たることの意味に対し、不快感をいだいたPKKは、DTK大会で地域自治要求をデミルタシュに読み上げさせ、同時にHDPに対する支配を完全にうちたて、HDPを舞台の外においやった。

6月7日から12月27日に至るプロセスにおいて、我々は、HDPが、上昇・トルコの政党たること・議会の第三の政党の地位の獲得という地点から、急速に弱体化し、機能不全へ、さらには、舞台の外に追いやられるのを目撃した。

このプロセスのおいて、デミルタシュも、HDPも、もちろん抵抗した。「武装闘争をやめよ」との呼びかけをおこない、「塹壕(をほり、武力闘争をする)政治」に反対した。

ディヤルバクルやその地域の友人らと頻繁に会うたびに、いつも次の言葉をきいていた。デミルタシュは、カンディル(PKK本部)に対し、PKK―HDP関係の不透明さからくる不快感を絶えず訴えていた。HDPの、そして政治的解決に道を開くよう、求めていた。

PKKはというと、武装闘争を政治的解決に優先させた。これこそが、HDPを無能化し、政治的な力の消失の原因となっていた。

11月1日の選挙ののちに強まった暴力行為とPKKのテロは、「PKKか、HDPか、どちらが主役か」という問いが含んでいた不透明さを、さらに濃くした。PKK―HDP関係の不透明さは、デミルタシュとHDPを、困難の状況に追い込み始めた。

モスクワ訪問までは、この不透明さは、続いていた。

モスクワ訪問と、それに続くDTK大会での声明文の読み上げは、PKK―HDP関係の不透明な時代が終わったことを意味している。

PKKは、「唯一の主役は自分だ」といい、「HDPの政治的存在感」を無いものとしている。

PKKにとって、もはや重要なので、シリアやイラクをはじめとする、この地域の展開だ。PKKは、この地域において自身の重要性が非常に大きくなったと考えている。ISに対する戦いの鍵となるのは自分たちであるという考えに基づき行動している。トルコにおける地域自治要求と、シリアやイラクのおける将来像を結び付けている。

PKKは、アメリカともロシアともよい関係を保つことが自身に利益をもたらし、これらとの関係からの利益の方が、HDPの政治的重要性より、はるかに大きな付加価値をもたらすと考えている。これは、PKKにとって、武装闘争や武器が、政治や交渉よりも優先するということを意味ている。

しかし、PKKのこの考えや計算には、「大きな誤算」があると私は思う。

HDPは、クルド問題の解決のためだけでなく、トルコの民主主義にとっても、非常に重要な存在だった。HDPが舞台の外の追いやられることは、この「重要な存在」が失われることを意味する。

デミルタシュは、自身とHDPの置かれている状況に不愉快に思っていることだろう。私がディヤルバクルで話をした多くの人は、そう語る。

この地域のクルドの人々は、我々の友人であり、トルコ共和国の平等な市民であらねばならない人々であり、このプロセスや闘争により大きな被害を受けてており、苦しみを味わっている。

クルドの人々は、6月7日と11月1日の選挙で、クルド問題の主役、そして、トルコの政党になろうとするHDPに、そしてデミルタシュに、甚大な支持を与えた。この支持は続いている。暴力ではなく政治を、衝突ではなく交渉を、死ではなく命を欲している

ではこの現実のなかで、何がなされれなくてはならないのか。
(明日につづく)


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翻訳者:トルコ語メディア翻訳班
記事ID:39519