Ismet Berkan コラム:問題は、エルドアンかトルコか?

2016年08月05日付 Hurriyet 紙
 クーデターの夜まで「諸悪の根源はエルドアンだ、消えてしまえばいい、どんな形でもいいから消えてくれ」との認識があった。

 クーデターの勃発によって、こうした認識は「しかし今はすべてがエルドアンを利してしまう」というようになった。

 この新しいようで古い見方は、ギュレン派のプロパガンダシステムも相俟って、欧米でもはっきりと支持されているような状況だ。世界が「尊敬」する新聞各紙に掲載される記事は、とてもくらくらさせる。

 だが、我々の問題はレジェップ・タイイップ・エルドアンではない。トルコだ。
エルドアン大統領のリーダーとしてのキャパシティと国民人気はそうそう無視できないが、次のような見方が肝要だ。

 「悲しいことにエルドアンは強くなっている」と言うことと、「クーデターが成功していたら、エルドアンから救い出されたのに」と言うことに差はない。

 エルドアンから救い出されたい、あるいはエルドアンが強くなることに不安を抱く人々は、その望みを実現する唯一の方法が選挙を通じてということを、もはや受け入れなければならない。

 これを受け入れる唯一の妨げは、大統領が、他の誰かとは段違いの政治的権力をもっているということである。

 しかし、ちょっと考えてみてほしい。クーデター前の7月14日にもエルドアン大統領はこの力を保持していたし、その数か月前には国の政権与党の党首、つまるところ首相を難なくすげ替えてしまったのだ。

 だが、今日そのエルドアンは、日曜の会合に野党の各党首を招き、「行かない」と言っていた共和人民党(CHP)のケマル・クルチダルオール党首を、過去を水に流す形で低姿勢で再び招待している。

 これに対してクルチダルオール党首は何と言っているか。昨日、ムラト・イェトキンの本紙の記事を読んだが、「大統領が、落ちている評判を、野党党首をだしにして高めようとしているのではないかと疑っている」と言っている。つまり会合に行けば、エルドアンに更なる正当性を与えることになると考えているのだ。

 私個人の意見だが、クルチダルオール党首は完全に誤解している。それに7月15日の夜以来、素晴らしく礼儀ある姿勢によって得つつある果実を台無しにしようとしている。

 なぜなら、問題はエルドアンの尊重でなはなく、トルコの尊重だからだ。

 長きにわたって何度も書いてきた。トルコにとって予期される危険とは、宇宙の星々に起きる収縮崩壊(自壊)と、その後ブラックホールかあるいは(楽観的可能性として)白色矮星になり果てる可能性である、と。

 7月15日のクーデター未遂によって、この自壊の可能性は同時に強まりもし、弱まりもした。強まったというのは、我々の理解では、国家が弱体化したためだ。

 弱まったというのは、国民が政治的分裂を乗り越えて、クーデターを全員で阻止したからだ。

 今後、我が国がこの2つの可能性のいずれの道を歩むのかを、全体としては現在の政治指導者たちの選択が決めていくだろう。もしCHPの指導者が、問題を国の存続を賭けた問題ではなく、エルドアンが落ちている評判を高めようとしている問題だと言い続けるのなら、選択は決まったようなものだ。

(後略)


この記事の原文はこちら

同じジャンルの記事を見る


翻訳者:貝瀬雅典
記事ID:41005