Taha Akyolコラム:暴走戒厳令

2017年02月09日付 Hurriyet 紙
憲法裁判所のコントロールなき決定で、戒厳令は「制限とバランス取り」がないまま施行されている。

昨日も330人の学者を含む4464人が公職を追放された。
憲法学が専門のイブラヒム・カブオール教授も大学を追放された。

我々はカブオール教授とは別の憲法認識を持っており、議論したこともある。しかしながら、一人の法学教授が、広くは学者が、いかなる罪状も手続きも無しに、ただ戒厳令が作り出した「制限のない」影響力によって大学から追放されるのを良しとすることはできない。

カブオール教授は常に西欧の民主主義を擁護していた。改革期にAKP政権により人権協議委員会の委員長に任命された。

そして今、何の刑事告発も無しに、戒厳令の法令に従って大学を追われた。
同じ政権の二面性だ。

■欧州人権裁判所による自由の定義

別の象徴的な出来事は、憲法学を専門とするオスマン・ジャン教授の態度だ。同僚が大学を追われることに対し、ツイッター上で抗議したのだ。

ジャン教授は、憲法裁判所の調査官をしていた頃、AKPは解党されるべきではないとする法的調書を書き上げた人物だ。2015年6月7日の総選挙で同党から議員に選出され、同年11月1日の再選挙で議員リストから外された。

欧州の最高法的機関のひとつ、ヴェネチア委員会において副委員長を務めており、高く評価される法学者である。

ジャン教授はツイートで、「自由の領域が狭められることが問題を深くする」と戒めている。

その通り、我々は自由を制限することで問題を先送りにするべきではない。

欧州人権裁判所の判例には、1976年のハンディーサイド裁判から続く以下のルールがある。

「社会と政府が好ましい、正しい、あるいは害のないものとみなすニュースや思想だけでなく、政府や国民の一部が否定的で誤りだと思うような、彼らを不快にするニュースや思想を自由に表現でき、人々がこのために制裁を受けることがないと確信している必要がある」

これに対して、我が国では、他の活動をしていなくても、ただニュースやものを書いたためにかなりの新聞記者や学者、官僚が仕事を失っている。

■「反動的な役人たち」

2000年の6月だった。就任したばかりのアフメト・ネジデト・セゼル大統領の眼前に「政令」が提示された。2つの調査報告書によって、「反動的」と見做された裁判官、検察官、学者、そしてあらゆる公務員が公職追放をされようとしていた!

2月28日過程を支持する兵士らは、これに向けて圧力を加えていた。

しかしセゼル大統領は「憲法に反する」として署名を拒否した。

私も当時、「法律なき政令」という見出しで、セゼル大統領の行動を支持し、軍の「粛清令」を批判する記事を書いた。(2000年8月1日付のMilliyet紙を参照されたい。)

セゼル大統領の力が及ばなかったとしても、政府に対する介入を私が批判したことをここに明らかにしておこう。

そして今日、「粛清」は戒厳令により行われている。

今日、違法な組織や団体を政府から切り離すことは必要だが、証拠をそろえ、司法を通じたものであるべきだ。

■強いトルコ

戒厳令下の条件において、証拠は顧みられず、司法への道も閉ざされている。憲法裁判所もこれまでの判例を変更し、この法的制限の不在を認めた。

カブオール教授やその他の人たちが、FETÖやその他の違法組織の構成員だなんてことがあり得るのか?!

そうだとしたらどのみち刑事告発が行われたはずである。

法的秩序において、「政府や国民の一部が好ましくない、あるいは間違っていると考える、彼らを不快にするニュースや思想」を、ビラや新聞記事として公表することは罪にならないし、大学から追放される原因にもなりえない。

しかしながら保守派のメディアも書いているように、このようにかなりの数の犠牲者がいる。

多くの新聞記者はもう何ヶ月も刑務所に収監され、未だに起訴状も書かれず、裁判も開かれていない。

トルコは絶対に強くならなければならない。しかしそれは、より多くの逮捕と職務追放によってではなく、より多くの法によって作られるものだ。そうすれば逮捕者たちの釈放も容易になるだろう。


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翻訳者:岩田和馬
記事ID:42133