Murat Yetkin コラム:勝つには勝ったが、今後の運営はさらに難しい

2017年04月17日付 Hurriyet 紙
ことの法的な局面があり、51%であれ、タイイプ・エルドアン大統領が予想したように60%であれ、まったく問題ではない。

エルドアン大統領は10年来目論んでいた目標を達成し、大統領制へと到達した。もはや民族主義者行動党(MHP)のサポートも必要ないということを鑑みれば、「大統領による統治システム」といった、実際誰もが何なのかを分かっている、まわりくどい表現も必要ない、と思うのである。

エルドアン大統領が勝利を発表したが、5500万人弱の有権者のうち86%が票を投じた国民投票で「賛成」票率は51.4%、「反対」票率は48.6%であった。

そしてこの結果に高等選挙委員会(YSK)は影を落とした。サディ・ギュベンYSK委員長には、腹を立てないでもらいたいが、時を逸した発表は、きっと良心の持ち主で、物事を良くわきまえている公正発展党(AKP)党員を満足させることはなかった。票数を数えたあとに、以前あなた方自身が作ったルールを破り、印のない投票用紙を有効票として数えるのは、試合が始まってからペナルティエリアでファウルするのをペナルティとして扱わないようなものである。

2人に1人が議院内閣制に代わって大統領制へと移行するのに反対するのは、可決された[憲法の]条文が社会的に合意された文書ではないということ、とケマル・クルチダルオール共和人民党(CHP)党首は述べた。

国民投票の結果は他にも印象的な側面を有している。

アンカラ、イスタンブルをはじめ…。

アンカラ(51.2%)、イスタンブル(51.4%)は「反対」を唱えた。イスタンブルにはエルドアン大統領の家があるウスキュダル区が含まれる。

AKPを生んだ「国民の視座」の高まりは、1995年の地方選挙でイスタンブルを(タイイプ・エルドアンによって)、アンカラを(メリフ・ギョクチェキによって)獲得したことから始まった。

そう、これは総選挙ではなかったのだが、AKPの側にはエールをかけていたMHPもいたのだ。

アンカラ広域市市長メリフ・ギョクチェキとイスタンブル広域市市長カーディル・トプバシュ、そして県本部長らがエルドアン大統領に説明すべきことがあるだろう、実際問われるようなものだが。

そしてイズミルだ。ビナリ・ユルドゥルム首相はほとんど最後の週をこの地で過ごすことがなかったのなら、イズミルとアイドゥンで「反対」票率が70%を超えることはなかったのだろうか?

それだけではない。2014年地方選挙でAKPが手に入れたアンタリヤや、MHPが影響力をふるうアダナ、メルスィンも…。

列挙したこれらの県のすべては、トルコの都市化率、産業化率、商業、教育普及率、文化的発展度合がもっとも高く、もっともよく世界に開けた住民層を代表している。

これを理解しているなら、「国民の民主主義とはこんなものだ。受け入れるも受け入れぬも自由だ」と答えても、この現実は変わらない。

エルドアン大統領は、現在工業生産(ガーズィアンテプとカイセリを除く)が盛んでなく、教育、輸出、文化的発展の可能性がそれに応じ、閉鎖的な住民層に承認させた憲法でもって、トルコの工業生産、輸出量、観光収入、教育可能性、文化的生産がもっとも高く、もっとも外に開けた住民層を導こうとしているところである。

こうした社会的な分断が、すなわち都市化と教育レベルが増すにつれ「賛成」票が減少するという事実が、4月16日の晩にAKP本部で、恐らくその怒りと失望によりいっそう率直かつ開け広げな(そしていくぶん失礼な)言葉で表現された舞台裏を反映しているが、私たちは[これを]繰り返してはいけない。恥しいことである。

反対派は国民投票キャンペーンの間ずっと、あらゆる不平等に直面していたにもかかわらず、結果として街の2人に1人が、テロリストだ、謀反者だと汚名を着せられることすら厭わず、権力が一手に集中するのに反対したというのが真実である。

彼が予想していたように60%、さらに最終週までに政府側が推測していたように55~56%であったとしたら、エルドアン大統領は4月16日の夜の演説でおそらく「賛成票が炸裂した」と述べ、目指していた一歩をより軽やかに踏み出せていただろう。

51%対49%という比率により、法的にはすべてを行うことができるが、政治的にはそれを行うのは困難になった。

なぜなら上述のような構図に加えて、さらにいくつかの事実も明らかになった、諸結果により。

評価しようがしまいが、クルチダルオール(HDPの共同党首らさえも逮捕されているという異常事態のもとで)は、目に見える「反対」キャンペーンに唯一のリー ダーとして現れた。CHPの得票予想率が25%、HDPはもはや10%前後を超えなかったにも関わらず、CHPを筆頭にすることなく49%の境界を見た。

アンカラとイスタンブルをはじめとするすべての大都市におけるCHP組織は、明日4月18日から異なる気分で、敗れたのではなく勝ったのは彼らであるかのように活動し始めるだろうと言えよう。

また、「反対」を選んだ者たちは、単に権力の一極集中に反対したのではなく、現代的で自由主義的で西側に顔を向けたトルコを選択すると言葉にしたのである。

一方でエルドアン大統領は、屋内で記者らに話す際、[全トルコ国民に向け]包括的に話すよう配慮していたにもかかわらず、バルコニーに出て、自身にラブコールをかける大衆を見るや否や、死刑制度の復活に言及した。

特に、数分前にはトルコの「友好国と同盟国」に投票の結果を謹んで受け入れるよう要求し、トルコが関係の発展を望んでいると述べていたにもかかわらずだ。

繰り返す必要があるのだが、死刑制の復活は、ただトルコの民主主義を第3リーグに追いやることに留まらず、欧州連合(EU)との政治的関係に重大な損害を与えることに留まらず、期待されていたトルコへの投資が妨げられることも含めて経済への重大な打撃となる。

こんなことは間違いであり、間違っていながらそれが訴えられることはもっと誤っている。

実は、状況を説明するのに多くの言葉は必要ない。エルドアン大統領とAKP党員らの、昨晩4月16日の晩にテレビ画面に映った表情に立ち戻って見てみれば、十分である。

まるで勝利を手に入れたというのではなく、この結果を受けてさあどうしようかと考えている表情だった。この勝利はかなり疲れ、失望を生むものであることが分かる。

エルドアン大統領は目的を達成し、トルコの新たな時代が始まったが、もはや事態は今までよりも困難である。


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翻訳者:金戸 渉
記事ID:42510