Murat Yetkin コラム:ジャーナリスト逮捕に終止符を

2017年07月30日付 Hurriyet 紙
ジュムフリイェト紙の裁判は、新聞記者の拘束が国内における不公正と国外における不安定さを増さないよう、新聞記者の拘束が終わるべきであることを、皆に改めて示すものとなる必要がある。

昨日(28日)、イスタンブル第27重罪裁判所での公判5日目、拘束された新聞記者である我々の同僚の気分は良好だった。アブドゥッラフマン・オルクン・ダー裁判官が休憩を言い渡した際、軍警察の間にいたものの、友人たちと健康を尋ねる機会を得た。

自身の体調は非常に優れて見えたが、(拘束されたジュムフリイェト紙のコラムニスト)カドリ・ギュルセル氏は「君は少し痩せたようだ」とからかった。私たちが会ったのは直近で1年ほど前だった。私たちもタイフン・イチリ氏とムラト・サバンジュ氏の丁寧に整えられた髭をからかった。アフメト・シュク氏も気分は良好のようで、列の最後から「皆によろしく」と呼びかけた。

夕刻、新聞社で仕事をしていると、ハサン・ビョリュクバシュ検事が3人の拘束の継続を要求しているとの情報が入った。さらにアフメト・シュク氏が「弁護ではない、告発だ」と言いながら行った証言についても告訴したとのことだった。

判決が言い渡され、7人が釈放されたことにさえ完全には喜べなかった。新聞社の執行委員会委員長、アクン・アタライ氏に加えて3人の同僚の新聞記者、カドリ・ギュルセル氏、アフメト・シュク氏、ムラト・サバンジュ氏の拘束が続いているからだ。さらにジュムフリイェト紙の社員ではないにも関わらず検察官がこの件の訴状に加えたケマル・アイドードゥ氏という教師の拘束も続いている。次の公判は9月11日に行われる。

残念なことに、私たちは新聞記者やコラムニストの拘束が確実に一種の罰とみなされる時代にいる。

政府にとって(実のところAKP以前の政府にとっても)「独立した司法」の仕事と言うような逃げ道と合理化のポイントがある。この彼らが言ったことは紙の上では正しいが、紙の上でのみ正しいのだ。

そして紙の上での正しさは、7月15日の軍事クーデター未遂の後に宣言された非常事態の時期によっても、2002年から現在まで続くAKP政権によっても制限されなかった。何十年もこうで、徐々に濃くなっていっている。

法律には実のところ、新聞記者やコラムニスト、メディア関係者を拘束し裁判にかけると言う条文はない。判決は完全に――そして通常の状況下であるべきように――裁判官たちに任されている。

しかしこの件には、さらに行為におけるメカニズムがある。それは次の通りだ。

・警察はいかなる人間、集団、もしくは組織についても、用意した訴状を持ってきて検察官に与える。この段階で検察官の前には3つの選択肢がある。1つめの選択肢は「これはあなた方の仕事ではない、私の仕事だ、必要を感じればあなた方に助力を願おう」と言うこと。法律に書いてあるのも、実はこれだ。2つめの選択肢は、警察に犯罪捜査について感謝をし、取り調べでそれが役に立つだろうと述べること。3つめは、「警察が知っていることがあるはずだ」と言って同じ書類について取り調べを始めさせること。これももはやその時の支配的な政治的な風によって容疑者の拘束の要求となっている。
・検察官による拘束請求が裁判官の前に出されたとき、裁判官の前には2つの選択肢がある。1つめは、提出された書類の中にある証拠を調べること、その後認めるか却下すること。2つめは、延期することなくそのまま認めることだ。

残念なことに、裁判官と検察官の中には、頭を痛めないようにと目の前に出される書類を中に何が書かれているのか見ずにそのまま認める者たちがいる。そういう者たちがいなければエルゲネコンやバルヨズ、軍事スパイ、オダTVなどの訴訟において、現在では間違っていたと言われる証拠がどうして認められることがあっただろうか?当時ギュレン派でない人々の一部も「不要」として認められなかっただろうか?

なぜなら裁判官検察官委員会のトップに法務省がいるからだ。4月16日の国民投票以降も、裁判官と検察官の任命、昇進、規律に関する非業務を担当する同委員会での政治権力の重要性は、執行部員が大統領のもとに集められたことによって増加したように見える。一部の司法関係者にとって、これは公正の問題であることではなくなり、残念なことに将来とキャリアの問題に変わりうる。

さてこのメカニズムの結果、例えばジュムフリイェト紙の訴状を最初に用意したムラト・イナム検察官はその後「FETÖのメンバーであること」の容疑で解任されたにもかかわらず逮捕されないまま裁判のプロセスが続けられたが、我々の同僚に関しては確たる証拠なく拘束されたままであるといった道義にもとる光景が明らかになっている。

アブドゥッラー・ギュル前大統領は昨日、新聞記者らの在宅起訴を支持すると繰り返した。ケマル・クルチダルオール共和人民党(CHP)党首はさらに当初から同様のことを言っている。同じことを政治家たちや国会議員たちについても言っている。

我々は、このメカニズムがどのように進んでいるかを先程説明しようと努めた。

このメカニズムは、法律ではなく、政権において支配的である見解によって変わる政治心理的空気を源としている。この鎖を壊したいと望むなら、壊す道は政治や政治権力を通る。タイイプ・エルドアン大統領からアブデュルハミト・ギュル法相まで、政治権力を行使する人々が確たる罪の証拠もないままに拘束した上での裁判が行われるべきではないという方向で説明を行い、その方向で実行することのみが、この悪循環を断ち切ることができる。


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翻訳者:永山明子
記事ID:43090