ハンセン病についてのフォルーグ・ファッロフザードの映画は私たちに新型コロナウイルスについてどのようなことを示唆しているのか?(その1)

2020年04月09日付 Hamshahri 紙

フォルーグ・ファッロフザードは、イラン暦1341年(西暦1962年)にタブリーズのバーバーバーギーにあるハンセン病患者の療養施設を訪れ、ドキュメンタリー映画『あの家は黒い』を作製した。この映画はハンセン病患者の隔離と孤独の中での生活の一端について描いている。

ガーディアン紙によると、イラン暦1341年(西暦1962年)冬、イランの有名な詩人フォルーグ・ファッロフザードが、彼女にとって最初で最後となる映画を製作した。その映画は、当時は先駆的な作品であったが、現在は古典作品の一つである。この映画ではタブリーズ近郊のハンセン病患者が生活する小さな社会について描かれている。その映画は60年以上前に作られ、特殊な状況に苦しんだ人々の小さな集団に注目したものであるにも関わらず、新型コロナウイルスが蔓延する日々の中で、新たな意味を持つようになった。この映画は、イランの現状のためだけではなく、世界のどこにいるかは関係なく存在する検疫と隔離に関しても、語るべき言葉がより多くある。

彼女の映画を鑑賞することは易しくない。この映画の監督だったエブラーヒーム・ゴレスターンはこの映画のテーマを映画の冒頭で明白に説明する。彼は「この画面には、醜さが映し出される。人類が目をそむけるべきではない苦しみの映像が(映し出される)。」と述べる。これは、サアディー【訳注:13世紀に活躍した古典詩人】が「もしあなたが他の人の苦しみに心を痛めないなら、人間と呼ぶ価値はないだろう」と語っていることと同じである。

ゴレスターンが語る「醜さ」は映像に直接写し出されている。ファッロフザードの映画の主人公であるハンセン病患者たちは、最初の段階で診断され、治療を受けているが、人々はそれほど幸運ではない。冒頭のシーンで、女の子が自分の変形した顔を鏡で見ている。他のシーンでは、鼻がない男性が指でたばこの端を摘まんでいる。しかしファッロフザードは映画で彼らを一人たりとも不快なものやグロテスクなものとする態度をとらず、むしろ彼らを「人間」として描いている。
(その2に続く)


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翻訳者:ME
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