Doğan Hızlanコラム:カパル・チャルシュ(グランドバザール)の行方?

2021年08月24日付 Hurriyet 紙
ウスキュダル大学社会学教授エブルフェズ・スレイマンが主導をして、「カパルチャルシュの職人が昨日から今日にいたるまで文化・観光的な貢献の社会学的歴史」について、アヴラシャ大学社会福祉学部ニルハン・カルカンデレル氏もまたアクティブな職責を担ったという調査が行われた。

以下のような問題の解答を議論している:

■「カパルチャルシュの職人は終わってしまうのか?」

カパルチャルシュは、私そして私の世代の生活において重要な位置を担っています。ベヤズットで大学から出ます、そしてチュナルアルトゥで休憩をします。サハーフラル市場の中からカパルチャルシュへと向かいます、そこからバーブ・アリーへと向かってアリ・アヴニ・オネシュ氏の書籍配布部署へとたどり着きました。

そのあとでは、そこからまた新聞へ、出版社へと向かいました。

私は若いころにはベヤズゥトの政府図書館で仕事をしていました、昼食のためにもまたカパルチャルシュにある食堂へと向かったものです。

カパルチャルシュを学ぶためには、アリ・シュキュル・チョルク氏が編集者を務めた、「過去から未来へカパルチャルシュ」という書籍を読むのをお勧めいたします。問題の専門家たちが参加をしたこの本における情報は私たち皆が理解をすることができます。

本では、サハフラル・チャルシュに関しての必要な情報も与えられています。

カパルチャルシュが創立されてから、ここで生み出された品々は、まずは宮廷へと送られました。タンジマートののちには工場における生産がスタートしたようなのです。

アフメト・ハムディ・タンプナルの『平穏(Huzur)』の小説の主人公であるミュムタズもまた頻繁にこの場所を訪れました。

チョルクは、この場所がイスタンブルの核となる場所であり、またツーリズムにおける中心地であると述べています。

チョルク氏が編集者を務めた書籍を読むと、私はその地の本屋のことも思い起こしました。

カパルチャルシュについて書き記した3人の詩人がいます。オルハン・ヴェリ・カヌク氏、セザイ・カラコチ氏、そしてエジェ・アイハン氏はカパルチャルシュの詩の解釈をおこないました。バフチェト・ネジャチティル氏の『カパルチャルシュ』という本もまた思い起こしましょう。

■調査についてのいくつかの注意すべき点

カパルチャルシュの職人は終わってしまうのでしょうか?

一日に何千人もの旅行者を迎えるカパルチャルシュにおいて、『カパルチャルシュの職人の過去から今日にいたるまでの文化・観光の貢献の社会学的歴史』の包括的なオンラインのアンケートの事業が行われました。トルコの様々な県から移ってきて、カパルチャルシュで職人を始めた参加者たちのうち27%は11年以上にわたってイスタンブルで生活をしています。大きな都市へと移り住んだ最も重要なファクターは、24.2%で『生活の糧を得るため』として前面に出ました。参加者たちのうちの38.7%は、家業を継いだということ、30.6%は、収入の問題のために、仕事をしながらお金を得るために職人になったと述べています。
かつてのように、見習いが存在しなかったために、職業の継続性という名目で後に続く一つの世代が存在しなかったということが述べた研究においては、職人によってカパルチャルシュの活動が続けられるためにはさらに多くの広告と紹介の必要性があります。


オンラインで行われたアンケートには62のカパルチャルシュの小売店主が参加をしました。調査は、一般的にカパルチャルシュの文化と観光業に対しての貢献を決定すること、職人の国内と外国人の観光に対する視点を精査し、職人の職業の知られざる困難さに対して、光を当てること、パンデミックのプロセスの影響力そしてその結果を分析すること、職人たちの将来に関しての提案を明らかにするという目的で実行されました。

異なる世代の観点が検討されました。18-60歳の間の異なる世代の視点の理解をもたらすアンケートは参加者たちのうちの90パーセントは男性で、女性は10パーセントほどだったのです。参加者たちのうちの40.3%は学部生であり、22.6%は高校と
12.9が準学士号、9.7%が小学校そして4.8%が博士課程のレベルであるということが見受けられました。割合が低くとどまっているのにともなって、いかなる教育組織からも卒業をしていない参加者たちもまた、調査に参加をしました。

変化をするイスタンブルの生活様式は全ての場所に反映されました。AVMが非常に大きな需要に応えたため一つ一つの店に対しての関心の割合は減ったのです。

サハフラル・チャルシュスにある数多くの書店はその他の場所へと引っ越したのです。かつてはイスタンブル大学は、教授さらには学生の中心地でした。数多くの地区において開かれた大学は、学生の集中を異なる地域へと分散させました。

カパルチャルシュは、ただ商業上のものではなく私たちの文化の歴史における位置を守る必要があるのです。博物館にする推薦は、現実にふさわしいものではありません、そこが生きる場所であることがまた条件なのです。

私たちの作家であるオルハン・ヴェリ・カヌク氏のカパルチャルシュの詩で終えようと思います。

『着られることのなかった洗濯物はどのような匂いを放つのか、あなたはご存じでしょう。

納戸のその部屋で;

あなたもまた店をそのような香りを放つのです。

あなたは私の叔母を知らないでしょう。

自由な地には花嫁がやってくるはずだった、生きていれば;

この汗はその人の汗だ、

この壁はつまりは彼の壁なのだ

それではこのショーウィンドーにいる女性たちは?

この真っ青な

この緑の着飾った・・・

夜にもこうして立ちっぱなしなのだろうか?
この上質なシャツも?

それにも何かの物語がなかったのだろうか?

カパルチャルシュといって通り過ぎないでください;

カパルチャルシュ,
またの名を

閉じた箱(カパル・クツ)』


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翻訳者:堀谷加佳留
記事ID:51524