アラブの偉大な修辞学者アブドゥルカーヒル・ジュルジャーニーの功績(1)

2022年05月25日付 al-Quds al-Arabi 紙

■アブドゥルカーヒル・ジュルジャーニーと文体の理想:彼の修辞学への読解

【ムスタファー・アティーヤ:本紙】

修辞学者アブドゥルカーヒル・ジュルジャーニーには、ふたつの大きな業績がある。それによって、彼の名は光輝く文字でアラブ修辞学思想に刻み込まれている。第一の業績は、韻文(ナズム)の理論である。多くのクルアーンの章句や詩の例文の読誦者、研究者、援用者として、言語的・修辞学的に厚みのある分析をおこなった。このことから、彼の第二の業績が生まれた。それは、意味の学に他ならない。そこでは、弁舌の学(イルム・バヤーン)の専門用語に関する多くの指摘がなされている。例えば、比喩や借用や諷喩や婉曲表現である。これは、意味の学の専論である『修辞学の秘法』にも書かれている。しかし彼は、詳細に、意味の学が要請する限りでの同語根法やサジュウも取り上げ、気取りや文飾を拒否している。『修辞学の秘法』では、以下のように述べられている。「意味それ自体が目的となり、そのために必要とされ用いられるようなものでなければ、また、代わりがなく他にどうしようもないときでなければ、受け入れられる同語根法も、美しく韻の踏まれたサジュウもみつけることができない。それゆえ、聞くに堪える同語根法のうち最も適切で、また最も美しいものは、読み手が意図せずに生みだしたものである」。

以上に述べたふたつの業績の内容や主題の多さと多様さは、修辞学思想に関するジュルジャーニーの百科事典的な博識さと、弁じ認(したた)めることにおける深みと広がりを示すものである。また、彼は自身のビジョンをはっきりと映し出し、知識によって分析に深みを与えている。彼は、文章表現の巧みさの違いは文学者の巧緻さと、彼の言語的・美的構成能力、および著作や著述の技量によるものであり、気取らず、それでいて正確な同語根法やサジュウは、文学者のもつ深い知識がなければ生まれえないものであり、文体や表現法の巧みさによると考えていた。

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翻訳者:藤原路成
記事ID:53494